2025年10月20日月曜日

若い力をもらう


 

9月に花巻市立太田小学校の6年生と交流しお互い高村光太郎の事を披露する機会に恵まれました。

私達はいつもの、ある日の光太郎の劇です

最近はスタッフが増えて少し内容も充実して来たんですよ。

でも、緊張感は変わらずです。なかなか慣れませんね。光太郎が村人からご馳走をいただいたり、お礼にお菓子や雑誌など当時なかなか手に入りにくかったものを差し上げていた事や郵便屋さんが光太郎の家まで来なかったので小学校に出入りして子供たちと交流していた事など、精一杯演技しているつもりです(^◇^;)

訪問客も5キロの山道を肉や牛乳や野菜を背負って届けてくれた人など熱演です(^∇^)当時はお店も少なく光太郎は嬉しかった事でしょうね。
6年生の皆さんは

「少年に与う」

という詩の朗読をしてくださいました。


          少年に与う

この小父さんはぶきようで

少年の声いろがまづいから

うまい文句やかはゆい唄で

みんなをうれしがらせるわけにはゆかない

そこでお説教を1つやるとしよう為よう

みんな集まって本気できけよ

まづ第一に毎朝起きたら

あの高い天を見たまへ

おてんきなら太陽、雨なら雲のいるところだ

あそこがみんなの命のもとだ

いつでもみんなを見ていてくれるお先祖さまだ

あの天のやうに行動する

これがそもそも第一課だ

えらい人や名高いひとにならうとはけっしてするな

持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人になるんだ。

天からうけたものを天にむくいる人になるんだ

それが自然とこの世の役に立つ

窓の前のバラの新芽を吹いている風が

ほら、小父さんの言う通りだといっている


昭和18年詩集「をじさんの詩」より

代表がサンタになって(学校には光太郎がサンタに扮した写真があります)キャンディをプレゼントしました。

楽しいひと時でした。


 こちらは岩手県立花巻南高校の家庭クラブの皆さんと先生です

今年も土沢アートクラフトフェアにお弁当を出す事になり、家庭クラブの皆さんが、レモンケーキを作って応援に来て下さいました。

お客様はお嬢さん達のプレゼントに大喜びでお弁当もあっという間に完売でした。若いエネルギーをもらった日々でした

2025年9月1日月曜日

旧盆過ぎ


 いつも当ブログを訪問して下さりありがとうございます♪

岩手も今年は暑く、花巻市はダムの貯水量が少なく、田んぼの水も制限されました。皆様の地区は如何でしたか?

東北、この辺は北東北になるようですが、旧盆が過ぎると、涼しい風が吹いて来て、あー、秋の風が吹いて来たなぁーと思うものですが今年はその旧盆過ぎの風がなかなか吹いてくれません。

光太郎は「山からの贈り物」の詩の中で

旧盆すぎて穗立をそろへた萱の穂の

あの美しい銀の波にうちわたる

今朝の山の朝風を

この封筒に一はい入れよう。

香料よりもいい匂いの初秋の朝風を。


と書いてあります。光太郎の住んだ太田村山口というところは一面すすき野原だったそうです。そのすすきが秋風になびく様などは素敵ですね


 

8月30日に岩手県立花巻南高校の文化祭がありました。
家庭科クラブで制作した智恵子のエプロンの発表があり、やつかのもりでも見学に行って来ました。智恵子記念館、光太郎記念館、など今年は展示ラッシュだったようですが堂々とした立派な発表でした。
夾纈染めと出会い、そちらの研究もなさっているようです。
若いエネルギーはセンスが良く羨ましい限りでした。
文芸部の先生のお話を聞いたり、楽しい時間を過ごしました♪
ありがとうございました♪





2025年7月22日火曜日

7月のイベント


 夏休み中、花巻南高校の家庭クラブで製作した、智恵子のエプロンを高村光太郎記念館で展示されています。

ポスターもバックに夾纈染めを使い雰囲気が素敵ですね。

まだご覧になっていない方、是非足をお運び下さい。


また、明日とお知らせが後手ですが、記念館と市内にあるカフェ羅須において、お琴と朗読のイベントがあります。

こちらも涼みながらぜひぜひいらして下さい。

2025年5月29日木曜日

5月のこうたろう散歩道

 


光太郎を知る会の皆さんを中心に5月15日私達だけの高村祭をして来ました。

光太郎が花巻に疎開する為に上野を発った日を自ら記念日としておりました。

ここの地区の皆さんが60年以上もこの日を記念して光太郎を偲び、高村祭を記念会や市と開催して来たのですが、コロナになってから休んでおりました。

大きなイベントはなかなか難しいですが光太郎ファンといたしましてはそこで詩を朗読するのはどうかしら?と話がまとまりまして、去年に引き続き2回目になります。もし参加したい方、来年ご一緒しましょう。


今日は花巻での光太郎を知る会、でしたので、阿部家の光太郎の碑を見せていただきました。

りんごの大将の碑はりんごばたけにあります。今はリンゴの実はまだ小さいですがここを光太郎もリンゴ畑を見に来たんですよ。

岩手の、そして花巻のリンゴが美味しかったのでしょうね

そして明日はワンデイシェフの日です。またお料理を載せますが、やつかのもりのインスタもどうぞ!

2025年4月29日火曜日

智恵子の生家へ

福島県二本松市にある智恵子の生家に行ってきました。

新花巻駅から新幹線で福島駅まで、そして

在来線で安達駅まで。のんびり改札から降りてきたら1台しかないタクシーが行ってしまい、少し焦りましたね。

タクシー乗り場に電話番号が書いてあり、ホッとしました。

智恵子の生家は花霞というお酒を作っていました。現在もその酒は別の方が名前を引き継いではある様ですよ。

今回は隅々まで公開でしたので、家に上がってみる事ができました。お店だった所は時計や大きな神棚はその頃の面影を残している感じですね。


智恵子は機織りが得意だったとか、光太郎は花巻に疎開してくる時に、智恵子が織った反物を持って来てますね。

花巻に来てから宮沢家にお世話になるわけですが、岩田さんに半纏とモンペを作ってもらっています。その機織り機でしょうか、織り機が飾ってありました。お庭も見えて素敵です。

床の間の脇にある透かしも風情がありますね。

 タンスになっている階段を登ると智恵子の部屋になります。この階段とっても急です。昔の階段はお城でもどこでも急ですね。
隣に記念館があり、紙絵などが展示されています。今回、岩手県立花巻南高校の家庭クラブの皆さんが作った、智恵子のエプロンを、特別に展示しております。

作るまでのプロセスをうまくまとめてありました。

機会がありましたら是非ご覧下さい。

智恵子が考案したといわれるエプロンが智恵子の里で公開されるのは嬉しい事です
話が前後するのですが急な階段を登って智恵子の部屋に行くと元気のもとが瀬戸物になっていて美しい絵が書いてあります。

九谷焼なそうです。

オシャレですね。当時を思わせるものがたくさんあり見応えがありました。

福島は暖かく良い日和でした。

皆さんも是非お立ち寄り下さい♪

2025年3月17日月曜日

春はもうすぐ


 春は黄色から、と言いますが事務所のろうばいも咲きました。ろうそくの蠟のような花びらです。

昨年11月2日に花巻市立太田小学校の創立150周年記念事業がおこなわれました。先日、来年度の打合せわせで式典の資料をいただいてきました。
光太郎が太田村に住んだ時は、太田小学校の山口分教場でした。小学4年生まで分教場で、5年生からはこの太田小学校に子供たちは通ったそうです。
山口地区の人口が増え昭和24年に山口小学校に格上げ?になります。
この時小学校に「正直親切」言葉を送り、式典にも出席しております。
この言葉は、山口小学校と太田小学校が合併した現在でも受け継がれています。

プログラムに載った光太郎の詩です。皆さんで朗読したのでしょうか?
「山のともだち」 昭和27年 婦人之友9月号に
「冬の子供」   大正11年、ローマ字で発表されたもの。
「少年に与ふ」  昭和12年、無風帯に発表。

沢山の光太郎の詩の中から子供の詩を選ばられた事のようです


さてこちらは3月の光太郎ランチです。ミレットキッチン花さんの力作ですね
イカ大根やチャーハンは光太郎の日記によく登場しますね。

私達やつかのもりもメニュー表で、少し貢献しています。毎月15日花巻西南道の駅で販売しています。是非1度食べてみて下さい。予約も可能なようですよ。




2025年2月20日木曜日

令和7年初の出前講座

いつも、当ブログに訪問してくださりありがとうございます♪

今年初の講座の報告です。

2月18日市内のまなび学園で、出張講座をして来ました。

宮沢賢治、新渡戸稲造、と勉強会をなさっている方々で、光太郎はお初なそうです。

教員を退職なさった会員の方々、劇の中で笑いがあったり、和やかな講座でした

私達の「ある日の光太郎」の劇から始まります

光太郎がお世話になった村人達が色々出て来ます。

服装や方言にもこだわりました。持ち物もなるべく当時を再現したく苦労してます笑













光太郎   と交流があった吉田幾世さんが沢山食料を持って光太郎の元を訪ねるところ、
その前に佐藤勝治さんという、分教場の先生が訪問者から光太郎を守る場面もあります。


依頼の方の中で光太郎ファンの戸来さんから、光太郎が旧太田中学校(現在の西南中学校)におくった言葉のお話もありました。


トムさんの食事、も一緒に味わっていただきました。光太郎が食べた食材をもとにレシピを考案され、いつも美味しいお料理を提供していただいています

そば粉のガレットは、いつもながら美味しくいただきました。
デザートは太田産の栗のチョコケーキです。
私達お手製のバターナッツカボチャ、拍手される程大評判でした。

カフェドシトロンも、異国?の雰囲気で皆さんに喜んで頂けました。

普段食べないお料理で、どうだっかしら?と心配でしたが、喜んでいただけ、ホッとしています。











 劇もお話も資料もしっかり準備されてすごく良い研修会になった、ハイカラ料理はおいしかった。

とお褒めの言葉も頂きました。
私達も励みになりました。
ありがとうございました。

2025年2月8日土曜日

冬の朝のめざめ


 いつも当ブログを訪問して下さりありがとうございます。

光太郎大好きの方がミニカレンダーを作り、素敵なので作ってもらいました。

今月は、「冬の朝のめざめ」という詩です。

少し長いですが鑑賞したいと思います。

  「冬の朝なれば」

冬の朝なれば

ヨルダンの川も薄く氷りたる可し

われは白き毛布に包まれて我が寝部屋の内にあり

基督に洗礼を施すヨハネの心を

ヨハネの首を抱きたるサロオメの心を

我はわがこころの中に求めむとす

冬の朝なれば街(ちまた)より

つつましくからころと下駄の音も響くなり

大きなる自然こそは我が全身の所有なれ

しづかに運る天行のごとく

われも歩む可し

するどきモツカの香りは

よみがへりたる精霊の如く眼をみはり

いづこよりか室の内にしのび入る

われは此の時

むしろ数理学者の冷静をもて

世人の形くる社会の波動にあやしき因律のめぐるを知る

起きよわが愛人よ

冬の朝なれば

郊外の家にも鴨は夙に来鳴く可し

わが愛人は今くろき眼を開きたらむ

をさな児のごとく手を伸ばし

朝の光を喜び

小鳥の声を笑ふならむ

かく思ふとき

我は堪えがたき力の為めに動かされ

白き毛布を打ちて

愛の頌歌(ほめうた)をうたふなり

冬の朝なれば

こころをいそいそと励み

また高くさけび

清らかにしてつよき生活をおもふ

青き琥珀の空に

見えざる金粉ぞただよふなる

ポインタアの吠ゆる声とほく来れば

ものを求むる我が習癖はふるひ立

たちまちに又わが愛人を恋ふるなり

冬の朝なれば

ヨルダンの川に氷を嚙まむ


大正元年11月30日作

大正2年1月「抒情詩」に発表された

筑摩書房 高村光太郎全集より

明治42年27歳にヨーロッパから留学を終えて帰国するわけですから大正元年は30歳です。




2025年1月4日土曜日

明けましておめでとうございます。

いつも当ブログを訪問くださり有難うございます

今年は、光太郎のヒゲが埋蔵されている、詩碑から新年のご挨拶をさせていただきます。

昨年は色々な方から私達「やつかのもりLLC」がご支持いただき、活動の幅が広がりました。

本当にありがとうございます。

特に高校生の方達とのコラボは沢山の若い力をいただき、メディアでも取り上げていただきました。

今年も地道に高村光太郎の顕彰活動を頑張りたいと思います。

今日は、日記から光太郎のお正月、特におせちを拾ってみたいと思います。

21年はいつも登場しますので、今回は22年と23年の日記から。


昭和22年1月1日

仰天の横雲美しく晴れる

雑煮をつくりて祝ふ。

餅を焼き、南瓜と蕪と芹と菜と、肉少々、鱈1切れカツブシの出し。美味

午食 昨夜の残りの飯を飯盒でむす。ウヅラ豆

夕食 飯炊、中皿にてキャベツをふかす。これにトマトケチャップをかける。

ウニ、ゴマメ、コイカ漬け。みかん。

お餅がないお正月かと思ったら、分教場の先生が届けて下さいます。村の方についてもらってご挨拶しながら光太郎の元に届ける先生に、光太郎はお茶を入れて出迎えます。

昭和23年1月1日

寒さゆるむ、風なし。時々日かげさせど雲多く曇り。

お雑煮、お屠蘇代わりの冷酒二杯 お供へをかざり、みかんりんごを供ふ。筆、槌、コムパス、等祭る。

院長さんよりの餅、宮崎さんよりの餅、凍豆腐、鶏肉一片。

ひる昨夜の飯を蒸す。のりつけもの、午后小豆を煮て砂糖少々入れる。

雪の中を歩きまはる。狐の足跡 点々(文は省略しています)

年賀状を持ってきてくれた先生にはこの小豆煮をご馳走しています。



光太郎もこんな足跡を見て追って歩いたのでしょうか?

3月になると雪がかた雪になり、動物のように雪の上をカリカリと歩けるようになります。

また、Instagramでは「yatukanomori」で時々料理などを中心に更新していますのでそちらもご覧いただけたら嬉しいです。

ことしもよろしくおねがいします。

やつかのもりllc



 

2024年12月14日土曜日

少しずつ広がる光太郎の世界


先日の高村光太郎記念館の雪の景色です。

いよいよ今年も雪に埋もれる頃になりました。

北海道に住もうと思ったくらいだから、寒いのは大丈夫、と言った光太郎ですが、自分が描いていた住家とは程遠く、戦後間もないこともあって沢山の事を我慢した事でしょう。

冬はちゃんとストーブで暖を取って、窓にはガラスが入って、暖かい日には縁側で日向ぼっこが出来るような家を望んだ事でしょうが叶わない時代でした。

周りが親切な村人だった事と、薪や炭がふんだんに使える環境だった事が救いだったことでしょう。
 


先日、やつかのもりLLCの企画で大変お世話になった岩手県立花巻南高校の菊池先生が岩手日報にエッセイを載せてっくださいました。

光太郎の縁で、色々な人とつながり、生徒と一緒に行動が出来た事などが書かれています。

これからの世代を担う若者、高校生に光太郎を知ってもらうチャンスを作っていただいたことは、私達もうれしい事でした。

これからも色々コラボさせていただきたいものです。



こちらは、私たちの副代表の、新渕さんが、この度、食の匠に認証されました。

バクロウ茸(香茸)の炊き込みご飯です。

私達もご馳走になるのですが、このきのこ自体が大変珍しく香りがよくって美味しいのです。

巷では松茸に負けないおいしさという評判です。

そのバクロウ茸をご主人と一緒に取りに行くそうですが、なかなか見つからないものなそうです。1度乾燥させて、香りがするようになってから、戻して料理をするそうです。

まさに匠の腕ですね。

皆で食の取り組みをしてきただけに、2重の喜びでした。

光太郎も沢山のキノコを採って食べていますが、みんなが狙っているものは自分で採るのが難しかったようです。

餅米が貴重な時代でしたから、おふかしや、お餅は村人からよくいただいてご馳走になっています。

キノコ料理は大好物でした。

2024年11月14日木曜日

光太郎も見た景色

 

いつも当ブログを訪問して下さりありがとうございます。

PCの調子が悪くアップロードが出来ず、報告もさまざまありますが、

今日は晩秋のこの景色を皆さんと一緒に楽しみたいと思います。

光太郎は秋になるとこの色づく様を日記にかいています。

東京育ちの光太郎は山の木々に囲まれた生活は経験がなかった事でしょう。

「1木1草まで紅葉して壮観です。」と友人に便りを出しています。

ここは旧記念館ですが、光太郎はこの土地に住むことを決め、この辺も自分の住処の候補にしてたようです。村人が往来するのでうるさいだろうという事でやめたようです。

奥には智恵子の泉もあります。

今年は雨が極端に少ないので泉の具合はどうでしょうか?


ここは「雪白く積めり」の詩碑です。

ここで春、コロナで休止するまで毎年高村祭を開催していました。

モミジは勿論、エゴの木、、栗やアブラチャン、やまなしの木、上澄み桜、沢山の色づいた木々に囲まれます。

この広場に、光太郎は図書館や音楽堂などを建てたいと知人に話しています。



詩碑の南側に広がる景色です。

今年は気候が良く、雨が少なくお出かけにはいいのですが、池とか小川には水がなく流れていない状態です。

この色も素敵ですね。
秋、ようやく深く、といったところでしょうか。
こんな景色を眺めながら、沢山の詩を書きました。

光太郎風に

「今年も紅葉うつくしく、ハジ、ヌルデ、ウルシが妍を競ふという有様です。」

是非お出かけ下さい。