2024年3月8日金曜日

ビックイベント その2

いつも当ブログを訪問してくださり有難うございます。
あっという間に3月。
こちらも3月に入ってからドカ雪が降ったり、芽を出した福寿草等が見えなくなりました。

さて、去る2月23日、バレンタインコンサートが市内の「ココ・タベルバ・ラパン」にて、「智恵子抄」の朗読と「フルートのコンサート」がありました。私達やつかのもり合同会社も協力させていただきました。

花巻在住のフルート奏者である牧野詩織さんとピアノ奏者の菅原智恵子さんの演奏は勿論、朗読の時のバックミュージックが流れたりステキな演出でした。
中々こんな近くで演奏は聴けませんから、素敵な機会に恵まれました。

朗読の牧野幹さんは、賢治の朗読では有名な方です。「知る会」のメンバーでもあります

今回は光太郎の「智恵子抄」に挑戦して下さり、

樹下の二人

あどけない話

風にのる智恵子

レモン哀歌

松庵寺

もしも智恵子が

案内

の詩をそして、茨木のり子の「智恵子と生きた」-高村光太郎の生涯―の中の文章を添えて朗読して下さいました。

皆さんもうっとり聞き入っていました。
大変盛況で、予約でチケットは完売でした。

ここ、ラパンさんはカフェですから、お茶とスィーツ付のコンサートです

せっかくですから、私達も光太郎と智恵子のなれそめを少し紹介させていただき、



 受付や販売、ホールスタッフなどを手伝わせていただきました。

お客様からとっても良かった。又開催してください。等のお言葉をいただき、

私達も光太郎の詩に浸ることが出来、いい1日でした。

2024年2月25日日曜日

ビックイベントその1

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私たちの小さな、小さな光太郎の顕彰活動が少しづつ目にとまり、2月は2回もお話させていただくことが出来ました。

2月16日、岩手県立花巻南高校で「高教研国語部会中部支部」よりご依頼があり、

「こうたろう散歩道ー山小屋暮らしの高村光太郎。」

と題しまして講演させていただきました。

現役の高校の国語の先生にお話しを、という課題は私達にはなかなか、ない事です。まして1時間以上のお時間をいただきまして、頭を悩ましました。

出来る事を、という事でみんなで講演の合間に寸劇も入れました。

光太郎がお茶を入れる時に水にこだわり泉に水を汲みに行き、

いつも野菜や豆をいただく村人と会話を楽しみ、当時村では珍しいコーヒーをご馳走したり、

行事のたびにお餅や赤飯をいただき、野菜作りの師匠からコツを聞き

お礼に雑誌やお菓子を用意している光太郎、当時珍しいものばかりでした。

皆さん自分の家族が残した昭和の衣装を探しての熱演です

私たちの1番若手のホープは、分教場の女先生です

手紙や荷物を山小屋迄届けてくれたり、光太郎が方言の詩を書いて、この先生になおしてもらいました

分教場時代に教員をしながら光太郎のお世話をした、佐藤勝治先生役、私たちの代表です。

前日のリハーサルが都合わるく、ぶっつけ本番でしたが、何とか危機を乗り越えました。

盛岡から吉田幾世が婦人之友社より、光太郎の様子を見てくるように、と依頼されます

光太郎の大好きな牛鍋の食糧を持って5キロの山道を歩いてきます。

そこを勝治先生は光太郎の体を気遣って合わせてくれません。

問答の末、許してくれるという場面。

ちょっと緊張して声が小さかったかもしれませんが、何とか無事勤めました。

これも私たちのみんなの力です。

光太郎を愛し、そして教えを守り続けている、山口地区の皆さん
1年の行事として60年以上も取り組んで来た事も紹介させていただきました。

最期に高村山荘の横にある詩碑の

「雪白く積めり」を朗読して、幕を閉じました。

この詩は初めてという先生もいらして、これを選んでよかった、と思いました。

いつも、生徒に国語を教えている先生方に何をお話ししよう?と悩みましたが、私たちの知っている光太郎の姿が1番と思い紹介させていただきました。

中部だけで15校あるそうです、ありがとうございました。




 

2024年2月10日土曜日

光太郎の山小屋(厳冬篇)

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2月になりましたが、いつもは雪に埋もれてスキー大会など開催される月ですが、ご覧のように雪は全くありません。降っても春の雪のようにすぐ消えてしまいます。朝は零下5度ぐらいに冷える日もありますが、日中の気温が高く、白鳥さんには居心地が良いのでしょうか?青く見える所は麦畑のようです。

先日首都圏などが雪が降って大変な様子を見ましたが、こちらは晴れでした。

70年以上前の太田村の2月の光太郎のある日です。

もう2月になりましたが、いよいよ寒波が来て、1月29日には最低気温零下20度になりました。それ以来ずっと零下の日が続いています。しかし氷がつよく張るだけで小生のからだには大して感じません。綿入着物にいつかのドテラを引っかけています。雪の中はツマゴを穿いて歩きます。此の頃は月が雲の上にあるので夜もうす明るく煙ったように吹雪が吹きしきる景色は実に見事です。入り口の引戸は夜になると凍りついて中々開きません。急須の蓋も凍りついて、湯を上からかけないととれません。何でも皆1度づつ温めてから使います。火はまことにありがたいもので太古の人が火を神聖視していたわけがしみじみわかります。

2月3日付茨城県取手町の宮崎稔宛の手紙から抜粋(筑摩書房高村光太郎全集より)

零下20度という寒さは、私は体験したことはありませんが、冷える時は暖房を強くしてもどこか冷え冷えとして、朝、会う人々に今日は冷えたねが合言葉になります。

今年はわが地方はまだ零下2桁になっていません。

光太郎の住まいは、囲炉裏をコタツにしていたようですが、急須の蓋も凍るとは、現在では外にいるのと同じですね。

吹雪の雪が積もった雪の上を舞うのが美しいと手紙や日記に書いていますが、東京育ちの光太郎には自然のすべてが美しく感じ、又その表現がさすが芸術家と思うことが沢山あります。軒雫の音や、開拓の屋根から上る朝炊きの煙あおくたなびく様子とか、日記や書簡を読みますと、その都度発見しております。




 

2024年1月24日水曜日

冬も変わらず


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今年は雪が少なく晴天に恵まれて、この日は早池峰山がくっきり美しい姿を見せました。

光太郎は住んだ太田村山口地区の丘の上に行って、この早池峰を眺めたようです。

さて、先日光太郎が住んだ山口地区の皆さんから出前講座の申し込みがあり、光太郎のハイカラ料理の講習会をしてきました。
皆さん高村祭などには大変なご協力をいただいている方々です。

メニューは
アンチョビサンド
鶏もも肉のマスタード焼
ボストンビーンズ
かぼちゃのポタージュ
シュークルート
黒豆ゼリー胡麻かけ
カフェドシトロン


左がボストンビーズ、右がシュークルートです。
今ネットの時代ですからいろいろな作り方が出てきますが、何度も試してこの味がおいしいという事になって、この2品は私たちが光太郎の日記から想像してできたレシピ皆さんお料理はお手の物で手際よくあっという間につくりました。
美味しくお腹いっぱいで、調味料から工夫した手作り料理は大好評でした。



こちらは夾纈(きょうけち)染の講習に行ってきました。
1つとして同じ模様がなく中々楽しいものでした
花巻の東和町では成島和紙というものがあり、今もこの和紙を使ってイベントがあるようです。
光太郎が頂いたサンドウィッチを包んだこの染の紙に、詩を書いてお返したものを企画展で拝見し、是非やってみたいと思っていましたら、近くに知っている方がおり、お願いしたら小さい講習会をして下さいました。bookカバーや箱に貼ったりノートの表紙に広がります。
ひねっても詩は書けませんので。
こちらは、15日の光太郎ランチです。道の駅花巻西南で販売しております。

毎月箸袋と光太郎の豆知識は私達やつかのもりの手作りです。
毎月のお料理「ミレットキッチン花」さんありがとうございます。


2024年1月4日木曜日

あけましておめでとうございます


 あけましておめでとうございます

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今年は年明けから地震や事故での幕開けでした。被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げると同時に1日も早い復興、回復なされる事を祈ってやみません。

昨年は食を中心に高村光太郎の岩手での暮らしや教えを顕彰すべき活動をして来ました。

中でも花巻市東和町にある「ワンデイシェフ大食堂」での取り組みは私たちの新しい活動でした。オーナーやスタッフさんの強力な支援で月1度、5月から11月迄7ヶ月、沢山の方々に来店していただきました。来店して下さった方、本当にありがとうございます

光太郎の食べたであろう食材をふんだんに使って提供しました。

3月から又始める予定です。それまで冬眠しながらレシピを研究します。もう少々お待ちください。

また、はなまき西南道の駅では光太郎コーナーを作り、光太郎の本や雑貨を手に取って見ていただけるよう1年通し工夫しながら現在も続けています。

陶器は光太郎の詩や言葉を入れて、花巻の陶芸家の作品を飾っています。上の段のファイルや本は私達の活動です。

気に入って購入していただけると嬉しいです。

こちらはレモンキャンディ

光太郎と智恵子のイラストが素敵でしょう!

童話村の森の店っこや

マルカン1階

花巻空港ターミナルビル1階売店hana

でも、お求めいただけます。

ブランデンブルクの森のクッキーもあります。

また、市との企画展で、新しい出会いがあり、光太郎の書などを拝見する事ができ、そして高校生の光太郎ファンに出会えたのも新しい嬉しい事でした。

太田地区振興会の取り組みで、

「光太郎はなぜ花巻に来たか?」の2回の講演にも携わる事が出来ました。

宮沢賢治の実家との繋がりに焦点を当てて多くの人に聞いていただき嬉しい事でした。


話は前後します

道の駅の光太郎コーナーで1番人気はこの絵葉書です。

山荘の近くの四季の写真とイラストは1年通して多くの人に手に取ってもらっています。ありがとうございます。

これからも皆さんの期待に応えれるようそれなりに頑張って行きたいと思います♪

商品のご注文、ご要望.の方は下記のメールまでお気軽にご連絡下さい。

又、光太郎の岩手での足跡などをご存知の方なども是非下記までご連絡下さい。

kotarocafe30@gmail.com

やつかのもり合同会社

本年もよろしくお願い申し上げます。

2023年12月24日日曜日

冬の覚悟


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こちらは朝マイナスの気温が続いてます。

12月には珍しく低温が続きます。雪は降ったのですが例年より多くありません。田んぼなどを写すと真っ白ですが大して積もってなく、道路にもありません。

光太郎は11月に本格的に山小屋に住み始めます。昔の家は障子やガラス戸とか珍しくなかった様ですが、光太郎が住んだ山小屋は山裾なので市内よりは雪も多く風も強く寒さも1,2度違います。です。ここに入る前、周りの人に雪が4尺以上とか零下20度の土地と言われ少し脅かされていた感じもなくはありませんね。どんな覚悟でこの山小屋に向かったことでしょう。冬囲いも随分考えた様です。しかしこの物のない時代です。苦労なさったことでしょうね。

(我が家の絵になるすみれ、早く雪が降り外に置けなくなってしまいました、光太郎もすみれを窓に飾っていましたので)
 周りの人も色々援助はするのですが、当時、市内に来るのもかなりの距離を歩かなければならない所、光太郎が望んだ所なのでしょうが、冬になりかけた時期、一番寒さが、みに染みます。それでも友人への手紙ではいつも前向きです。
春になったら色々な作物を作るし、冬の間はうさぎや鳥が居るのでタンパク質は大丈夫とか。そして何より10年かけてここに文化の村を作るとの意気込み。60歳過ぎての目標とは思えません。こういう前向きな励ましが当時の若者に大きな応援歌になったようです。
この山口地区にも大きな文化の発展をもたらしたことでしょう。


今年最後の光太郎ランチ。ミレットキッチン花さんに作っていただきました。
物価が高騰している時に色々工夫されていることでしょう。

私達の箸袋セットのメニュー表も頑張りました!
メリークリスマス

2023年11月29日水曜日

心を込めて

今日は雪です。

温泉に行きましたらこんなに積もってました。ずっと降っていますから明日までにかなり積もるのではないかと。

昨日ワンデイシェフで老体は疲れましたので温泉で癒してきました。

光太郎にとって11月12月は1番ハードな時期だったようで、21年の11月12月は日記が存在しません。書簡を調べると、出版社や新聞社の人が沢山訪問し、また遠方から友人の訪問があり、光太郎は人気者だったのですね。戦後出版物は灰になったものが多く書物を出版するために光太郎の元を訪問する人は多かったようです。ネットのない時代、足で行き確かめるしか方法がなかったのですね。

戦後の日本は作品の権利が作り手の方の居住地がわからずごちゃごちゃになったことが多かったそうです。光太郎は相手に(光太郎の作品を出版したい人に)気を付けるべきことをきちんと書いています。そんなこんなが光太郎を忙しくさせたのでしょう。心を込めて作る作品はどれも大事で光太郎の書簡を読むと相手に媚びず毅然とした態度に心打たれます。

昭和22年11月28日

日は照りながら雪がちらほらする。うすく積もっている。昼は分教場に行かず2時ごろゆく。郵便物受け取り、略 中々寒し。毛布をかぶって歩く。

凄く寒そうですね。

とあり、いつもこの時期はしっかり冬支度を終えなければならなかったのでしょう。

さて、11月28日、今年最後のワンデイシェフ大食堂の光太郎カフェ、
クリスマスバージョンです。今回も心を込めて作りました。
光太郎の大好きな新米、もちろん花巻産
暮れになると頂く鮭、大きい鮭を入手出来ました。
光太郎お得意の具だくさんのスープ。お豆も沢山入っています。ケチャップ味も光太郎ならではですね。
そして大事なシュークルート。沢山パターンはありますが、キャベツは勿論、シソの実、セロリは欠かせません。
カボチャのキッシュ、玉子が入手できるようになると光太郎は沢山買っています。
そんなところからのヒントです。
野菜畑のローストチキンテリーヌ、おみごと!とお客様の感想です。ありがとうございます。綺麗なお料理でした。野菜を自分で作っていた光太郎に是非見せたい1品です。


デザートはコーヒーと焼きリンゴのアイスクリーム添え
リンゴは勿論太田産
スタッフを除いても40人以上の用意です。
サンタの帽子をかぶっての奮闘でした( ´艸`)

お客様にもたくさん来ていただき、どれもきれいでおいしいと大盛況でした。
大変励みになります。ありがとうございます。




 

2023年11月23日木曜日

皆さんの活動に支えられて

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個人的に留守をしたものですから、更にブログに間が空いてしまいました。お詫び申し上げます。

さて、太田地区振興会が主催した「光太郎はなぜ花巻に来たか」のイベントを県立花巻南高校の文芸部の方が聞きに来てくださって、

「光太郎に会った方に是非お話をお聞きしたい」というご要望があり、光太郎が名付けて活動をした賢治子供の会の会員だった、熊谷さんという方にお願いし、学校に行ってきました。

文芸部の部員が大変少ないのですが、大変立派な活動をなさっており、私、個人的に卒業生としましては感激致しました。

この学校は花巻高等女学校から花巻南高校になり、女子校でしたが、場所を少し郊外に移転した時に共学になりました。女学校時代宮沢賢治の妹トシが卒業し、かつ教鞭をとった学校です。大変優秀な方だったそうです。トシの最期の様子を詠った「永訣の朝は」有名ですよね。賢治の良き理解者だったそうです。

立派な文芸部誌をいただいてきました。
きちんと読みたいと思います。
光太郎とどんな事で関わって、またどんな詩が好きか、と言われて、自分が記念館に勤めて知った光太郎の姿と、昔は光太郎が若い時の詩に興味があったが、晩年の花巻に住んだ頃の詩を改めて読むとここの景色が自然に浮かぶ事と、朗読で詩は大きく印象が変わる事などを先輩なので出しゃばってお話してきました。
熊谷さんにはご自分が小さい時何度か賢治子供の会で光太郎に劇を見ていただいた時の印象を思い出深くお話していただきました。現在でも朗読などのボランティア活動をなさっているそうです。
若い方々との貴重な時間を作って下さった、南高校の菊池先生に感謝申し上げます。

こちらは、個人的にある方からお借りした、「ミューズの花びら」という記念誌に載っていた光太郎の写真です。
美校に学んだ方たちの回想記念誌です。光太郎の祝辞や、講演も載っています。

こちらは昨日花巻の博物館で見てきました「かがくいひろしの世界展」の絵です。
特別支援学校の教師だった加岳井さん、素敵な世界でした。
よだかの星の絵もありました。
撮影可能なのですが、ガラスに反射して自分が写るのです。可愛い場面を映したつもり。成功したかな?

光太郎ランチ、ミレットキッチン花さんに今回も素敵なお弁当を作っていただきました。


ちょっと遠いですが、箸入れとメニュー表、やつかのもりLLC、花を添えました。

 

2023年11月2日木曜日

宮沢賢治⇒高村光太郎⇒吉田幾世

いつも当ブログを訪問して下さりありがとうございます

ブログがすっかりお休み状態になり色々情報がたまってしまいました。

まず、11月1日の宮沢賢治イーハトーブ館で行われた

「続光太郎はなぜ花巻に来たか?」の講演会の様子から、イーハトーブ館は賢治記念館の下の方にあります。200名ぐらいの収容数があるホールがありそこで催されました。


今回は第1部、地元太田山口地区の光太郎を知る方々と、小山弘明氏と宮沢和樹氏を交えて当時の光太郎の様子と、光太郎と宮沢家のかかわりなどを中心にお話していただきました。

山口では小学校に光太郎がよく来ていた事、子供達には優しく親切だった事、

水をもらいに行ってもすぐくれた事などをお話してくれました。

山口小学校は、光太郎が亡くなってから毎週ごみ拾いをしていたそうです。山口地区の方たちも山荘周辺の整備にはいつも沢山の方たちが労力を惜しまず協力していただきました。

今の記念館や山荘がきれいに残っているのは地元の方々の70年以上の奉仕のたまものですね。

次の2部には、光太郎と交流があった阿部家のご子息で花巻農業高校で教鞭を取られていた阿部さん

高校生の時文芸部の部員として光太郎に会いに来たという菊池さん、

地域おこし協力隊の方、光太郎のファンで光太郎の文を英訳して観光に貢献した森川さん3名がそれぞれ光太郎と関わった様子をお話してくださいました。

光太郎が花巻に来て、リンゴの美味しさにびっくりし、リンゴが大好物になります。そんな様子などや、高校生の菊池さんは当時の山荘の様子や光太郎の言葉を、また森川さんは光太郎が興味を持った温泉の様子を、今の温泉の様子のようにお話してくださいました

実はこの講演、太田地区振興会で開催しております。

今度は続続編を是非花巻市で開催していただきたいですね。私達やつかのもりLLCも受付やその前の準備のチラシや垂れ幕などに協力いたしました。

クッキーや切手シートのプレゼントもありました。


宮沢和樹氏が資料として宮沢賢治が高校、今の岩手大学に頼まれて作りかけた詩を提供して下さいました。これは賢治が未完成のままだったものを弟の清六氏が光太郎と一緒に完成させた作品なそうです。
これは賢治の作品ではないという事で全集には載っておらず、岩波文庫の方に掲載されているそうです。
光太郎は戦犯にこそなりませんでしたが、戦時中沢山の詩を書きそれを支えに若者が戦地に赴いたことに大変な責任を感じていましたが自分のように迷わず新しい世界を作ってほしいという願いが込められているような気がします。

さて、そして本日、私たちが企画に携わった、「光太郎と吉田幾世」の企画展の特別講座があり、久しぶりに記念館に来ました。

すっかり秋です。ここから山荘を見ると光太郎が住んでいるような雰囲気です。

今日は小山先生の講演です。

吉田さんが自由学園の卒業生であって現在も現存する雑誌「婦人之友」の記者もしており、そして「婦人之友」に光太郎は約100年前から投稿していた。という縁もありました。

そして奥さんの智恵子夫人も投稿しておりエプロンの型紙などもありました。興味深いですね。

光太郎が1年通じて記事を載せたりする出版社はなかったそうで、光太郎にとって特別な出版社であったとのことです。

また、吉田さんが光太郎の体を心配し、栄養の摂れる食品を持ち、山口に何度も訪れます。

そのうち生徒を連れて訪問し、お土産にサンドウィッチを作ったり、座布団に山野草の花を刺繡して差し上げ、光太郎もまた卒業式に参加したりホームスパンの先生を紹介したりと深い交流があったようです。

企画展では、光太郎が吉田さんに送った書などが展示されています。
智恵子抄の一部分の言葉を贈っているのは大変珍しいと、小山先生のお話でした。
又、光太郎の作品が掲載された「婦人之友」、その号を盛岡スコーレ高等学校が保管していたものを展示しています。70年以上も前の本ですね。

現在の生徒が作っている作品やホームスパンが出来るまでの様子などを展示しています。
是非是非足をお運びください。