2023年11月29日水曜日

心を込めて

今日は雪です。

温泉に行きましたらこんなに積もってました。ずっと降っていますから明日までにかなり積もるのではないかと。

昨日ワンデイシェフで老体は疲れましたので温泉で癒してきました。

光太郎にとって11月12月は1番ハードな時期だったようで、21年の11月12月は日記が存在しません。書簡を調べると、出版社や新聞社の人が沢山訪問し、また遠方から友人の訪問があり、光太郎は人気者だったのですね。戦後出版物は灰になったものが多く書物を出版するために光太郎の元を訪問する人は多かったようです。ネットのない時代、足で行き確かめるしか方法がなかったのですね。

戦後の日本は作品の権利が作り手の方の居住地がわからずごちゃごちゃになったことが多かったそうです。光太郎は相手に(光太郎の作品を出版したい人に)気を付けるべきことをきちんと書いています。そんなこんなが光太郎を忙しくさせたのでしょう。心を込めて作る作品はどれも大事で光太郎の書簡を読むと相手に媚びず毅然とした態度に心打たれます。

昭和22年11月28日

日は照りながら雪がちらほらする。うすく積もっている。昼は分教場に行かず2時ごろゆく。郵便物受け取り、略 中々寒し。毛布をかぶって歩く。

凄く寒そうですね。

とあり、いつもこの時期はしっかり冬支度を終えなければならなかったのでしょう。

さて、11月28日、今年最後のワンデイシェフ大食堂の光太郎カフェ、
クリスマスバージョンです。今回も心を込めて作りました。
光太郎の大好きな新米、もちろん花巻産
暮れになると頂く鮭、大きい鮭を入手出来ました。
光太郎お得意の具だくさんのスープ。お豆も沢山入っています。ケチャップ味も光太郎ならではですね。
そして大事なシュークルート。沢山パターンはありますが、キャベツは勿論、シソの実、セロリは欠かせません。
カボチャのキッシュ、玉子が入手できるようになると光太郎は沢山買っています。
そんなところからのヒントです。
野菜畑のローストチキンテリーヌ、おみごと!とお客様の感想です。ありがとうございます。綺麗なお料理でした。野菜を自分で作っていた光太郎に是非見せたい1品です。


デザートはコーヒーと焼きリンゴのアイスクリーム添え
リンゴは勿論太田産
スタッフを除いても40人以上の用意です。
サンタの帽子をかぶっての奮闘でした( ´艸`)

お客様にもたくさん来ていただき、どれもきれいでおいしいと大盛況でした。
大変励みになります。ありがとうございます。




 

2023年11月23日木曜日

皆さんの活動に支えられて

いつも当ブログを訪問してくださり有難うございます。

個人的に留守をしたものですから、更にブログに間が空いてしまいました。お詫び申し上げます。

さて、太田地区振興会が主催した「光太郎はなぜ花巻に来たか」のイベントを県立花巻南高校の文芸部の方が聞きに来てくださって、

「光太郎に会った方に是非お話をお聞きしたい」というご要望があり、光太郎が名付けて活動をした賢治子供の会の会員だった、熊谷さんという方にお願いし、学校に行ってきました。

文芸部の部員が大変少ないのですが、大変立派な活動をなさっており、私、個人的に卒業生としましては感激致しました。

この学校は花巻高等女学校から花巻南高校になり、女子校でしたが、場所を少し郊外に移転した時に共学になりました。女学校時代宮沢賢治の妹トシが卒業し、かつ教鞭をとった学校です。大変優秀な方だったそうです。トシの最期の様子を詠った「永訣の朝は」有名ですよね。賢治の良き理解者だったそうです。

立派な文芸部誌をいただいてきました。
きちんと読みたいと思います。
光太郎とどんな事で関わって、またどんな詩が好きか、と言われて、自分が記念館に勤めて知った光太郎の姿と、昔は光太郎が若い時の詩に興味があったが、晩年の花巻に住んだ頃の詩を改めて読むとここの景色が自然に浮かぶ事と、朗読で詩は大きく印象が変わる事などを先輩なので出しゃばってお話してきました。
熊谷さんにはご自分が小さい時何度か賢治子供の会で光太郎に劇を見ていただいた時の印象を思い出深くお話していただきました。現在でも朗読などのボランティア活動をなさっているそうです。
若い方々との貴重な時間を作って下さった、南高校の菊池先生に感謝申し上げます。

こちらは、個人的にある方からお借りした、「ミューズの花びら」という記念誌に載っていた光太郎の写真です。
美校に学んだ方たちの回想記念誌です。光太郎の祝辞や、講演も載っています。

こちらは昨日花巻の博物館で見てきました「かがくいひろしの世界展」の絵です。
特別支援学校の教師だった加岳井さん、素敵な世界でした。
よだかの星の絵もありました。
撮影可能なのですが、ガラスに反射して自分が写るのです。可愛い場面を映したつもり。成功したかな?

光太郎ランチ、ミレットキッチン花さんに今回も素敵なお弁当を作っていただきました。


ちょっと遠いですが、箸入れとメニュー表、やつかのもりLLC、花を添えました。

 

2023年11月2日木曜日

宮沢賢治⇒高村光太郎⇒吉田幾世

いつも当ブログを訪問して下さりありがとうございます

ブログがすっかりお休み状態になり色々情報がたまってしまいました。

まず、11月1日の宮沢賢治イーハトーブ館で行われた

「続光太郎はなぜ花巻に来たか?」の講演会の様子から、イーハトーブ館は賢治記念館の下の方にあります。200名ぐらいの収容数があるホールがありそこで催されました。


今回は第1部、地元太田山口地区の光太郎を知る方々と、小山弘明氏と宮沢和樹氏を交えて当時の光太郎の様子と、光太郎と宮沢家のかかわりなどを中心にお話していただきました。

山口では小学校に光太郎がよく来ていた事、子供達には優しく親切だった事、

水をもらいに行ってもすぐくれた事などをお話してくれました。

山口小学校は、光太郎が亡くなってから毎週ごみ拾いをしていたそうです。山口地区の方たちも山荘周辺の整備にはいつも沢山の方たちが労力を惜しまず協力していただきました。

今の記念館や山荘がきれいに残っているのは地元の方々の70年以上の奉仕のたまものですね。

次の2部には、光太郎と交流があった阿部家のご子息で花巻農業高校で教鞭を取られていた阿部さん

高校生の時文芸部の部員として光太郎に会いに来たという菊池さん、

地域おこし協力隊の方、光太郎のファンで光太郎の文を英訳して観光に貢献した森川さん3名がそれぞれ光太郎と関わった様子をお話してくださいました。

光太郎が花巻に来て、リンゴの美味しさにびっくりし、リンゴが大好物になります。そんな様子などや、高校生の菊池さんは当時の山荘の様子や光太郎の言葉を、また森川さんは光太郎が興味を持った温泉の様子を、今の温泉の様子のようにお話してくださいました

実はこの講演、太田地区振興会で開催しております。

今度は続続編を是非花巻市で開催していただきたいですね。私達やつかのもりLLCも受付やその前の準備のチラシや垂れ幕などに協力いたしました。

クッキーや切手シートのプレゼントもありました。


宮沢和樹氏が資料として宮沢賢治が高校、今の岩手大学に頼まれて作りかけた詩を提供して下さいました。これは賢治が未完成のままだったものを弟の清六氏が光太郎と一緒に完成させた作品なそうです。
これは賢治の作品ではないという事で全集には載っておらず、岩波文庫の方に掲載されているそうです。
光太郎は戦犯にこそなりませんでしたが、戦時中沢山の詩を書きそれを支えに若者が戦地に赴いたことに大変な責任を感じていましたが自分のように迷わず新しい世界を作ってほしいという願いが込められているような気がします。

さて、そして本日、私たちが企画に携わった、「光太郎と吉田幾世」の企画展の特別講座があり、久しぶりに記念館に来ました。

すっかり秋です。ここから山荘を見ると光太郎が住んでいるような雰囲気です。

今日は小山先生の講演です。

吉田さんが自由学園の卒業生であって現在も現存する雑誌「婦人之友」の記者もしており、そして「婦人之友」に光太郎は約100年前から投稿していた。という縁もありました。

そして奥さんの智恵子夫人も投稿しておりエプロンの型紙などもありました。興味深いですね。

光太郎が1年通じて記事を載せたりする出版社はなかったそうで、光太郎にとって特別な出版社であったとのことです。

また、吉田さんが光太郎の体を心配し、栄養の摂れる食品を持ち、山口に何度も訪れます。

そのうち生徒を連れて訪問し、お土産にサンドウィッチを作ったり、座布団に山野草の花を刺繡して差し上げ、光太郎もまた卒業式に参加したりホームスパンの先生を紹介したりと深い交流があったようです。

企画展では、光太郎が吉田さんに送った書などが展示されています。
智恵子抄の一部分の言葉を贈っているのは大変珍しいと、小山先生のお話でした。
又、光太郎の作品が掲載された「婦人之友」、その号を盛岡スコーレ高等学校が保管していたものを展示しています。70年以上も前の本ですね。

現在の生徒が作っている作品やホームスパンが出来るまでの様子などを展示しています。
是非是非足をお運びください。