2019年4月29日月曜日

山の春

光太郎は、昭和26年3月発行の「婦人之友」に「山の春」と題して随筆を書いています。
今日はその一部分をご紹介します。

(略)山ではハンノキに金モールの花がぶら下がる。この木を山ではヤツカ(八束か)とよんでいるが、大へん姿のいい木で、その細かい枝のさきに無数の金モールがぶら下って花粉をまく。小さな俵のような雌花があとでいわゆるヤシャの実になり、わたくしなどは木彫の染料に、それを煮出してつかう。もうその頃には地面の雪もうすくなり、小径こみちも出来て早春らしい景色がはじまり、田のへりにはヤブカンゾウの芽がさかんに出る。これもちょっと油でいためて酢みそでくうとうまい。山の人はこれをカッコといっている。カッコが出るとカッコ鳥がくるし、カッコ鳥がくると田植だと人はいうがそうでもないようだ。そのころきれいなのは水きわの崖などに、ショウジョウバカマという山の草が紫っぽいあかい花をつけ、又カタクリのかわいい紫の花が、厚手の葉にかこまれて一草一花、谷地やちにさき、時として足のふみ場もないほどの群落をなして、みごとなこともある。カタクリの根は例のカタクリ粉の本物の原料になるのだが、なかなか掘るのにめんどうらしい上、製造に手数がかかるので、今ではこの寒ざらし粉はむしろ貴重品だ(略)。

目に浮かぶようなお話です。
 やつかの金モール(3月末の写真です)
 ショウジョウバカマ(先日山口山に登った時の花)これを見ると春が来たという感じがします。
かたくりは記念館の敷地内にもたくさんありますが山口山はもっと集団で咲いていました。



2019年4月19日金曜日

里山の春

みなさん、こんにちは
高村光太郎記念館です。
今日は、この春1番の温かさでした。
今年はいつまでも雪が降ったり心配な春でしたが、やっと里山にも花が咲く春がやってきました。ここ、光太郎記念館の敷地内の春の景色をお伝えします。
周辺には、たくさんの樹がありますが、
春といえば、こぶしの花芽が、みなさんをお出迎えしてくれます。
 随分数は少なくなりましたが、水芭蕉も春一番の花ですね
 春の妖精と言われるカタクリもお目見えです。
ここ、太田地区の皆さんが2年前に光太郎が住んでいた当時の景色に戻そうと植えて下さいました。
これは、キクザキイチゲ、集団で咲き、本当にきれいです。
マンサクの次は、このアブラチャン。
この花は、光太郎がスケッチしたものが残っています。
きっと春を待ちわびていたのでしょうね。
そしてこれが、山荘前の池にある、黒サンショウウオのたまごです。
白く固まって見えるのがそれです。
水のきれいなところに住むそうです。
みなさん、ぜひ見に来てください。

2019年4月5日金曜日

連翹忌(れんぎょうき)

 みなさんこんにちは
高村光太郎記念館です。
4月2日は、高村光太郎の命日です。
昭和31年のこの日、庭に連翹の花が咲いていたので「連翹忌」と名付けられました。
東京のアトリエで73歳の生涯を閉じました。
ここ花巻の記念館では、毎年、「雪白く積めり」詩碑前で詩碑前祭が催され、地元の皆さんが集まり、光太郎の詩を朗読し、ありし日の光太郎を偲びます。
 60年も詩碑前祭が続いているのですが、この日は大変珍しく吹雪だったので、館内で行いました。
小学生が、遺影の前にお花をあげました。
毎年地元の小学1年生が献花する事になっています。
光太郎は子供が大好きでしたので、ニコニコお花を受け取って下さるような気がします。

 そして、子供たちだけで、「山のひろば」を朗読
 参加者全員で「雪白く積めり」を朗読です。
当日は本当に「雪白く積めり」の世界でした。高村光太郎が亡くなった日の東京も珍しく雪が降ったそうです。
この日に降った雪や気温は、気象台始まって以来の現象だったようです。
 最後に一人一人お焼香をして終わります。
この後、市内の松庵寺(光太郎が生前お父様の光雲の法事をした場所です。)では、法要をします。
こちらも、光太郎ファンが集まって、法要の後、光太郎を偲んで座談会をします。

そして、こちらは夕方の東京です。
智恵子と光太郎が食事に訪れた日比谷の「松本楼」で連翹忌を開催しています。
高村光太郎の弟、豊周さんのお孫さんにあたる方が、現在の高村家を継いでおります。
そのご親族の方や、研究者の北川太一氏など沢山の方が参加しました。
渡辺えりさんも参加してくださり、お父様と光太郎のつながりなどもお話ししてくださいました詳しくはこちらの高村光太郎連翹忌運営委員会のブログをご覧ください