2022年12月31日土曜日

1年ありがとうございました

今年も最後の日になりました

1年、つたない当ブログを訪問して下さりありがとうございます。

今年もどっさり雪が降りました。

岩手に来た光太郎の大晦日、日記の分少し抜粋しました。

昭和20年12月31日

雪降りてゐる、薄氷はる。午前戸来のぼるさん屋根の雪を落としに来てくれる。

一人で屋根に上り、雪かきで落としてくれる。

午後1時半ごろすむ。茶を出す。「現代」12月號進呈。スルガさんの忠雄さん電報を届け來る。勝治さん生イカ深海魚、配給しやう油郵便など届けらる。後刻又来られてランプの壺持参

昭和21年、なし

昭和22年12月31日

日の出赤く見える。曇り。昨夜雪少々つもりゐる。井戸のあたり雪つみ、凍結つよし。雪相當につもってゐて外出むつかし。略 岩手日報の祓川さん来訪、原稿未着の由につき清書して渡す。湯口局より電話にて送る由。夜イカ煮もの、日本酒少々あたためる、略

昭和23年12月31日

晝間好晴、夜雲、温、無風、ひる頃学校。郵便物。弘さん来て栗もちをもらふ。珍し。夜読書。松の枝を入り口にうちつける。門松のしるし

昭和24年25年、郵便物の記録のみ。

昭和26年12月31日

雨つづく、温、雑用いろいろ、洗濯もの、夜ラジオをきき、除夜の鐘をきいてからねる、略

筑摩書房高村光太郎全集より

雪深い山小屋の光太郎が見えるようですね。

甥の高村規さんにはウサギやキツネの足跡を手紙に書いて送っています。

記念館や山荘周りにも足跡が見られますよ。

お天気の良い日是非お出かけ下さい。

「光太郎つくりくふ」の企画展開催中です。

まめに更新出来なかったことを反省し、来年はもっと光太郎の魅力を更新していきたいと思います。

皆さまよいお年をお迎えください。
 

2022年12月21日水曜日

12月色々

雪が降ったり晴れたり、寒くなった花巻です。

昭和20年の12月、花巻で過ごす1年目の光太郎、東京育ちで寒かったでしょうね。

15日の光太郎ランチ、冬モード全開の日でした。



今回も盛りだくさんのおかずでした。

これから外は寒いですが、インフォメーションコーナーは暖かいので、予約してそこで食べるのもいいかもしれません。予約ははなまき西南道の駅にどうぞ。

また、高村光太郎連翹忌運営委員会の小山先生からからこんなプレゼントをいただきました。紅茶です。

光太郎はレモン味。宮沢賢治はリンゴ味。今度の例会でみんなで味見をしたいと思います。楽しみです。

記念館では共同企画展を開催しています。期間は短いですが、この詩を読むと、光太郎が身近に見た開拓の人々の苦労や意気込みが伝わってきます。

冬休みに是非お立ち寄りください。


   開拓に寄す

000
 
岩手開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
人間ひとりひとりが成しとげた
いにしへの国造りをここに見る。
 
エジプト時代と笑ふものよ、
火田の民とおとしめるものよ、
その笑ひの終らぬうち、
そのおとしめの果てぬうちに、
人は黙つてこの広大な土地をひらいた。
見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、
掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、
藤や蕨のどこまでも這ふ細根(ほそね)に挑(いど)まれ、
スズラン地帯やイタドリ地帯の
酸性土壌に手をやいて
宮澤賢治のタンカルや
源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、001
何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る。
 
トラクターもブルドウザも、
そんな気のきいたものは他国の話、
神代にかへつた神々が鍬をふるつて
無から有(う)を生む奇蹟を行じ、
二万町歩の曠土(あかつち)が人の命の糧(かて)となる
麦や大豆や大根やキヤベツの畑となつた。
さういふ歴史がここにある。
 
五年の試煉に辛くも堪へて、
落ちる者は落ち、去る者は去り、
あとに残つて静かにつよい、
くろがね色の逞ましい魂の抱くものこそ
人のいふフランテイアの精神、
切りひらきの決意、
ぎりぎりの一念、
白刃上(はくじんじやう)を走るものだ。
開拓の精神を失ふ時、002
人類は腐り、
開拓の精神を持つ時、
人類は生きる。
精神の熱土に活を与へるもの、
開拓の外にない。
 

開拓の人は進取の人。
新知識に飢ゑて
実行に早い。
開拓の人は機会をのがさず、
運命をとらへ、
万般を探つて一事を決し、
今日(けふ)は昨日(きのふ)にあらずして
しかも十年を一日とする。
心ゆたかに、
平気の平左(へいざ)で
よもやと思ふ極限さへも突破する。
開拓は後(あと)の雁(がん)だが
いつのまにか先の雁になりさうだ。
 
開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
岩手の原野山林が
今、第一義の境(さかひ)に変貌して
人を養ふもろもろの命の糧を生んでゐる。

(高村光太郎連翹忌運営委員会ブログからお借りしました。)

2022年12月7日水曜日

企画展始まりました。

11月23日から始まっている「光太郎の食」おやつ編です。

いつも当ブログを訪問して下さり、本当にありがとうございます。

今回。高村光太郎連翹忌運営委員会代表の、小山弘明先生と企画展の資料集を作る事が出来、少しご紹介します。

小山先生からは光太郎の幼少期から、留学時の思い出や晩年の東京での暮らしなどから、おやつや飲み物を紹介してくださいました。

私たち「やつかのもりLLC」は、花巻のタウン誌「マチココマガジンの」裏表紙に5年間連載してきた「光太郎レシピ」の中から評判の高かったものを、今回の企画展に提案企画の協力をさせていただきました。

資料集の裏表紙には光太郎の住まいの絵も載せました。雰囲気はバッチリですね。

20ページもある資料集、期間中に光太郎記念館に来ますと無料でもらえます

花巻市、太っ腹ですね。

さて、先日12月3日、小山先生が高村光太郎記念館に来てくださり、今回の企画展の解説をしてくださいました。今回花巻市が撮影しましたので、後にYouTubeで見れるそうです。楽しみですね

光太郎の住まいだった、山荘の内部の写真のタペストリー、バッチリの企画でしたね。

きっとご覧になった方々、本物の山荘が見たくなることでしょう。

食、おやつ、飲物、それぞれ解説をしてくださいました。

光太郎が過ごしたのは7年という短い間でしたが、戦後の食糧事情が悪かったこともあり、村の人々との様々な交流が光太郎を支えました。

「食べ物はバカにしてはいけません。うんと大切だということです」といっています。