2022年2月21日月曜日

企画展、光太郎ランチのご案内

いつも当ブログを訪問してくださりありがとうございます。

遠く早池峰山を仰ぐと、白鳥の群れを見れる頃になりました。

15日は「ミレットキッチン花」がはなまき西南道の駅に「光太郎ランチ」を作って下さる日です。私達「やつかのもりLLC」もメニューの資料提供や箸袋などでお手伝いをしています


今月はちらし寿司や煮込みハンバーグなどのメニューでした。

私達は山里で光太郎が、ガスも電気もないところで大した食事は出来なかっただろうと思いがちです。光太郎の体を心配した人たちから食べ物が送られてきましたので、たまには当時村の人が見たことがないものを食べる事が出来たようです。するめをよく戻して料理を作っています。もどし汁は出汁もよかったようです。しかし一人暮らしの食事作りは薪や炭での調理です。ずいぶん時間が掛かった事でしょう。当然自由な時間が足りず、作品制作に没頭するのがなかなか叶わなかったようです。冬の1月2月は訪問者も少なく、手紙をまめに書いたり読書をしたりしていますが、山小屋ですからありとあらゆるものが凍り付いたようです。インクも凍って出ないと書いていますね。

花巻に住んでから、書をたくさん書いていますが、万年筆より墨の方が寒さには良かったのでしょうか。記念館では素敵な書を見る事が出来ます。



去年、光太郎の父「光雲」の彫刻展をしたところ、沢山のお客様に来ていただきました。

開催期間が短かったため、見たかったとのお客様からのお声から、また開催することになりました。

他に、花巻市に個人の方からご寄付していただいている、はがきや胎内仏のレプリカ、
そして光雲が制作した銅像を錦絵にしたもの(これはお借りしたものです)公開いたします。

珍しいものでは、光太郎が翻訳した「ホイットマン」の「自選日記」もあります。

開催期間がいつもより長いので、ぜひ足をお運びください。
 

2022年2月6日日曜日

冬の山小屋

いつも、当ブログをご訪問下さりありがとうございます

今年、雪の量はお隣秋田や青森は例年の2倍とか、岩手は去年は少なかったですが今年は例年ほどでしょうか?しかし寒さは例年より厳しく感じます。

当時、光太郎の住んだ山小屋は、どんなでしたでしょう?

2年目 昭和22年2月3日

宮崎稔氏にあてた手紙です。(1部を抜粋、現代仮名になおしています。)

いよいよ寒波が来て、1月29日には最低気温マイナス20度になりました。それ以来ずっと零下の気温が続いています。しかし氷がつよく張るだけで小生の体には大して感じません。綿入着物にいつかのドテラを引っかけています。雪の中はツマゴを履いて歩きます。此頃は月が雲の上にあるので夜もうす明るく、煙ったように吹雪が吹きしきる景色は実に見事です。

入口の引き戸は夜になると凍りついて中々開きません。急須の蓋も凍りついて、湯を上からかけないと取れません。なんでも1度づつ温めてから使います。火はまことにありがたいもので、太古の人が火を神聖視していたわけがわかります。


先日マチココタウン誌の「光太郎の食卓」の撮影のスナップです。

雪明かりと、ランプで読書をしたのかも、というイメージです。

たまたま、古いシェークスピアが我が家にありました。

毎回こういう小物探しも楽しく大変です。

パスタの記録もあり、どんなパスタだったのでしょうね。


スープは毎日色々なものを入れて作って食べています。豚脂や牛脂はことにおいしかったようです。

今回はパーコレーターも出てきますのでコーヒーとリンゴのデザートを用意しました。光太郎は特に水にこだわり、湧水を汲みに行って色々なお茶を楽しんでいます。

厳しい山小屋生活ですが、おひさまが射す冬のひと時はお茶やコーヒーで穏やかな1日を楽しまれたことでしょう。