2021年6月17日木曜日

緑いっぱいの記念館と光太郎ランチ

いつも訪問してくださり、ありがとうございます。

此のところ暑い日が続いている花巻です。

時々、ゴロゴロと、夕立の音も聞こえます。

ヤマボウシが、真っ白な大きな花を咲かせるようになりました。
また、エゴノキも、小さな花をびっしり!!
本当にきれい。
見上げると雨粒が降ってくるような感じに咲いています。
散っても、道路が真っ白になり、それも素敵です。

木陰に行くとさわやかな風が吹いて、いい季節です。

光太郎は、草花や星はもちろんですが、鳥の声をよく聞いて何月何日にこの声を聴いた、今年は遅いとか早いとか、日記にかいています。6月はうその鳴き声や、カッコウ、ウグイス、ヨタカ、声を聴き分けて楽しんでます。鳥はなかなか詳しいな、と感じます。

現在も静かな日は鳥の声が響きます。


さて、今月の光太郎ランチ。

ミレット花さんも益々腕を上げてきました。

左上の緑は「粟ぜんざいの抹茶かけ」当時雑穀が主役の光太郎の食事、お茶が大好きで井戸に水を汲みに行き、抹茶を立てて、一服味わっていました。こういうデザートになるのもうれしいですね。右下には好物のワラビです。ワラビは自分で塩漬けにし保存して食べています。

 グリンピースご飯

黒米炒飯

ホッケ焼魚

豚肉とじゃが芋の煮物

えんどうのバターお浸し

塩麴入り卵焼き

お新香

粟ぜんざいの抹茶がけ

お近くの方、「はなまき西南道の駅」に予約してどうぞ。

2021年6月15日火曜日

宮沢賢治を訪ねて

今回は、わが花巻市の偉人である宮沢賢治を訪ねて、花巻の街中を歩きました。光太郎も花巻に来て、いろいろ散歩をしていますから、2人の気持ちになって歩きました。

花巻観光協会で今、グループで散策するのにガイド付きで1人500円。なんと300円のクーポンが付きます。1時間30分のコースです。花巻駅観光案内所に集合、チケットを買って、遠くてもガイドの声が聴けるモニターを付け出発です

10時「なはんプラザ」前にあるオルゴール時計が鳴ります。銀河鉄道の主役が時計が開いて出てきます。

賢治の童話にまつわるオブジェが街のあちこちにありますが、ここは「どんぐりとやまねこ」でしょうか。ガイドはここにあった信号機の童話「シグナルとシグナレス」のお話をして下さいました。ここが軽便鉄道の出発地点花巻駅だったそうです。光太郎が来た時にはこの軽便鉄道はすでになく、住みかとなった太田村に行くためには電車を使いました。
駅前の食堂ではよくビールを飲んでいます。
駅近くにある、「林風舎」宮沢賢治の弟清六さんのお孫さんが経営してます。

りんぷうと言う名前の由来について聞きました。

賢治の童話「3人兄弟の医者と北守将軍」の中の3人の名前リンパー、リンプー、リンポーの真ん中、今でいえば獣医の人の名前からとったそうです。玄関の馬の彫刻はその為なそうです。

ここは、市内でも有名なお団子屋さん、賢治がここのお団子を食べたわけではなくこの場所で、「春と修羅」を印刷した山口活版印刷所のあった場所です。建物も当時の電気の配線などが残っています。ここで、清六さんは「国譯妙法蓮華経」を千冊印刷したところなそうです。
軽便鉄道の本社跡
よく写真を見ると、現在大迫で「猫の事務所」になっている、「郡役所」が見られました
同じく鳥谷崎駅跡
そこから、昔女学校通りと呼ばれた道にかかっている橋、なんと焼夷弾の跡が残っていました。
昭和9年に作られた橋、今はずいぶん狭い道に感じます。

吹張町に抜け、やぶやのお店前、女学校のお隣が賢治の勤めた農学校でした。やぶやまでは近く一杯飲みに行こうとよく同僚を誘って来たそうです。
その一杯、サイダーの事だった。との事。
ちなみに光太郎はここでおそばも食べていますが、サイダーは飲まず、駆け付け一杯、はビールでした。
最後、賢治のお母さんの実家で、ここも宮沢家です。ここで、賢治が産湯として使った井戸を公開しています。
今も商売をしていますので、土日はお休みなそうです。残念!
そして、上町の賢治の広場で解散です。
暑かったですが楽しい街歩きでした。
みなさんも花巻にいらした時にはどうぞ!!
 

2021年6月4日金曜日

盛岡スコーレ高等学校

先日、盛岡市向中野にあります、「盛岡スコーレ高等学校」に行ってきました。

目的は、光太郎がこの学校に係わったお話を伺えたら、という事と私達の光太郎カレンダーを差し上げたく訪問しました。

ここは創立者である吉田幾代さんが自由学園の卒業生でもあるため、婦人之友社から

「高村先生がどうしていらっしゃるかと心配しているので、お訪ねして見て下さい。」と電話を受け訪問したのがきっかけで、以来何度も栄養になる食品を持って、時々は生徒と一緒に山小屋を訪ねられたそうです。

食べ物、特にいいお肉が手に入ったときは、お酒と一緒に届けられたそうです。


その頃は「盛岡友の会生活学校」という女子教育の学校だったそうです。

光太郎はこの学校の卒業式に出席され、記念講演をされています。

「私はこの学校が大好きです。それはここにはフロンティア精神があるからです」

と先生も生徒も一丸となって学校を創っている特色を美しい、大事なことだと励ましてくださったとの事。

名前は変わっても、創立以来の学びの精神は受け継がれ、いたるところに卒業生の宝物の作品が飾られていました。
光太郎がこの学校に勧めたものの中に、ホームスパンがあります

当時、光太郎はホームスパンに大変興味を持ち、岩手に根付かせたいと思っていました。

太田村山口の少女を、当時のホームスパンの第一人者である土澤の及川全三の元に勉強させに行かせたりしました。


その及川全三氏をこの学校の講師に光太郎が頼み実現したようです。

大変厳しい授業だったとか。



学校には、当時の乙女たちと、ニコニコして撮られた光太郎の写真が残っていました。

電車を降りて約5キロの道を歩いて光太郎の元を訪問された生徒たちは、サンドイッチを作って訪問されたそうです。パンが大好きだった光太郎は喜んだに違いありません。 

今も変わらなく作っているものの中にぶどうジュースがあります。
敷地内に、レストランとショップがあり、買ってきました。
短い滞在時間でしたので、記述に間違いがあったらお許しください。
今も光太郎の教えを大事にしている学校があることを大変うれしく思いました。
今は食に力を入れているようでしたので、「光太郎の食」で繋がるといいです。
及川校長、企画の古舘氏、お忙しいところありがとうございました。
カレンダーは、まだまだ発売中!!
mail  kotarocafe30@gmail.com
まで、ご連絡ください
お近くの方  ,0198295522(はなまき西南道の駅)
よろしくおねがいします。