2020年8月23日日曜日

特別企画展

こんにちは

高村光太郎記念館です

ススキの穂も伸び、景色は随分秋らしくなりましたが、こちらも暑さは続いています。毎日暑いですね。が合言葉のような日々です。

山荘の近くにある赤い花は何ですか?

と言われ、早速調べに、自転車で向かいます。

光太郎が野菜を作った3畝の畑の向かいですが、、、、


ミズヒキの花でした。今年は大群になって咲いています。いつもは虫にやられるのですが大した被害もなく咲きました。遠くから見ると随分赤く見えます


さて、今秋、9月4日から9月23日まで当記念館企画展示室で、木彫の企画展が始まります。

昨年、光太郎の弟、孟彦氏のご子息であります貞彦氏から、光太郎の父光雲の木彫を、花巻市に寄贈していただきました。

「鈿女の命」(うずめのみこと)というものです。

今、急ピッチで作業勧めています。

また近況をお知らせいたしますのでお楽しみに。

 

2020年8月19日水曜日

夏の山荘の仲間たち

みなさんこんにちは

暑いですね。ここ花巻市太田もグングン気温が上がっています。

光太郎が住んだ頃は、一面原野だったようで、こんな大きな木が近くになかったようです。

でも、裏は山ですから、木陰で休んだりしたのでしょう。

現在、ここ高村山荘と呼ばれている光太郎が住んだ住居の近くに池があります。

ここには春、黒サンショウウオの卵がずいぶんたくさん見られました。

近年数が少なくなり(鳥が住みすいたりして餌として狙われています)環境整備の方がここから卵を自宅に持ち帰り,ふ化させて持って来てくれました。

仲間と広い池に住めるようにと10匹以上持って来てくださったのです。


小さい生物です

鳥とか、動物に食べられないことを祈ります。


そして、ここは光太郎が作物を作った畑の跡です

地区の老人クラブの方々がお花を植えて除草もして下さり、いつもきれいな畑になっています

今年は雨が多く、花が育ちにくいと思いましたが、今は咲きそろっていい感じです。
 光太郎は、作物だけでなく、紅花とか観賞用のものも植えていました。

かぼちゃの花などは「とても美しい」と日記にも書いており、食事の前に眺めたりお吸い物に入れて楽しんでいます。


2020年8月10日月曜日

花巻が燃えた日

 みなさんこんにちは

高村光太郎記念館です

今日は8月10日、75年花巻が空襲に会い市街地が燃えた日です。

光太郎は当時、宮沢賢治の実家に疎開して逗留していました。

場所は現在豊沢町という地名になっています。その周辺はほとんどの家屋が全焼したそうです。

当時の光太郎の日記が残っていますので10日分を紹介します

8月10日金

晴 午前5時サイレン、空襲。花巻町に爆弾落下、銃撃あり。館あたりとおもふ。艦載機なり。9時半頃なり。(花巻町初襲撃)。奥より胡瓜、玉葱、青菜をもらふ。<清六さん壕中にて無事>

〔午後1時過ぎより空襲、爆弾、焼夷弾。花巻町過半焼失。宮沢家も類焼。余は始め水かけ。後手まはり、仕事道具を壕に入れて、校長さん宅に避難、校長さんかけつけ来るらる<(千代田さん火傷)>〕

筑摩書房高村光太郎全集より

奥よりというのは、当時宮沢家の事ですね。離れに住んでいましたので、ご家族からお惣菜や材料を頂いています。

清六さんというのは宮沢賢治の弟です

校長さん 佐藤昌(さかり)さん。花巻北高校の初代校長です。光太郎があったときには定年してました。ご自宅が高台(鳥谷崎神社周辺)にありましたので延焼にあわず、その後1か月光太郎はこの佐藤宅にお世話になります。

千代田さんというのは宮沢家に住んでいた書生です。


朝、昼と2回も襲撃され、光太郎も水をかけ、道具を守った事が分かります。先日清六さんのお孫さんにあたる和樹さん(現林風舎代表)から光太郎から防空壕を掘ったほうがいいと言われ、そのお陰で、賢治の作品を守ることができた、というお話を聞く機会がありました。この空襲で光太郎は2回空襲に会うことになります。

それから2か月後にここ太田村に来て1人の生活を始めることになります


2020年8月9日日曜日

新商品とTV放映のご案内


みなさんこんにちは
高村光太郎記念館です。
道の駅の開業に合わせて、私達も何かお土産になるものを、と昨年から考え、ついに実現したキャンディです。
中身の味は勿論、デザインなど細かいところまで検討しました。
あまりにも検討しすぎて、納品がギリギリでした。
苦労した1品です。
1個、350円です。
こんな感じでブースを作りましたので、お近くにいらした方は是非お立ち寄りください。
勿論高村光太郎記念館も年末年始以外は開館してますので、併せてお願いします。
今月29日に岩手の「めんこいTV」で戦後75年の特集番組を放映予定なそうです。そこで高村光太郎をとりあげるそうで、先日、旧佐藤隆房邸で撮影をしました。
昭和の初期の建物なそうで,100年近くなるのでしょうか?お手入れが良く素敵なお屋敷です。
佐藤隆房氏は栃木県出身の医学博士で外科医です。ここ花巻に総合花巻病院を作り、現在でもお孫さんが医師としてご活躍なさっております。
このお屋敷に、光太郎は宮沢賢治の実家が戦火で延焼し太田村に住むまでの約1か月滞在しました。
来客の対応をしたり、のんびりここでレコード鑑賞もしたそうで、素敵な応接間が当時のまま残っています。
この応接セットをお庭の芝生に出し、皆さんで写真撮影をしたそうです。
映画に出てきそうなお部屋です。
光太郎が住んだお部屋もそのまま残っています。
和室二間で、この火鉢も使ったそうです。
太田村に住んでからも、市内に用事がある時はここに滞在しご家族の方々と楽しいひと時を過ごされたことでしょう。

この書は、隆房氏のお父様が詠まれた句を碑にするために光太郎に揮毫してもらったお軸なそうです。現在はその碑はもうないとの事でした。
光太郎はここのお部屋で寝ていると、川のせせらぎが聞こえてゆっくり眠れたそうです。
車のない時代は、そんな音もきこえたのでしょう。
とにかく広いお屋敷で、沢山の木々に囲まれ、とても住宅街とは思われません
ご子息だった進先生の奥さまのが大事にしているバラ園も拝見してきました。
今月29日の放映予定なそうです。
楽しみですね。

 

2020年8月7日金曜日

はなまき西南道の駅


皆さんこんにちは
高村光太郎記念館です。
本日8月7日「はなまき西南道の駅」がオープンします。
玄関に「賢治と光太郎の郷」という名前を付けていただきました。


ここには、JAの産直「すぎのき」と「味楽園」という食堂、「ミレットキッチン花」というお弁当屋さんが開業します。
隣にコンビニも開業する予定なそうです(コロナウイルスで、工事が大幅に遅れたそうです)
24時間オープンしている休憩コーナーはこんな感じです
壁面に光太郎と賢治のパネルがあります。
ゆくゆくは、映像も流したいそうです。
光太郎は、ここ西南地区に住んでいた方ですので、地元という感じがして、親しみが湧きます。
賢治も、ここ太田にある清水寺に、花巻農業高校の教師時代は生徒を連れて来たりしています。京都の清水寺の流れをくみ、昔は大変な数の参拝者があったそうです。
教え子がこの地区におり、肥料設計などもしてあげたという記録もあるようです
また、八方山も特別の思いがあるようです。
光太郎グッズのコーナーもあります
お近くまでいらっしゃいましたら是非お立ち寄り下さい。