2018年12月26日水曜日

企画展 光太郎の食卓

平成30年度花巻市共同企画展が12月8日より始まっています
ぐるっと花巻再発見 イーハトーブの先人たちという企画です
1月27日迄ですが、期間中スタンプラリーもあり、3館からスタンプをもらうと、記念品が貰えちゃいます。用紙は各館にも用意してあります。
是非、挑戦してください。
 今年は今のところ、暖冬で雪も少なく、雪景色はご覧になれませんが、歩きやすく助かっています。
 高村光太郎記念館では 「光太郎の食卓」と題して、企画展を開催しております。
光太郎がここ花巻太田村山口で暮らすために、野菜を作り、お一人で自炊をしました。
そんな暮らしぶりが日記や書簡からうかがうことが出来ます

 第1展示室で、朗読コーナーや彫刻をご覧になって渡り廊下、第2展示室の方と,奥にお進みください。
 企画展示室で今回の企画展「光太郎の食卓」がご覧になれます。
光太郎は東京生まれの東京育ちです。そして、この時代珍しくアメリカやヨーロッパに留学しています。戦後の食糧不足の時代、ここ岩手に疎開し、食べ物はずいぶん違った事でしょう。
光太郎は食事は「眼でも楽しむ」と言って、食事の際、畑に咲いた野菜の花などを食卓に飾って食事を楽しまれました。
南瓜の花はとても感激して、お吸い物や酢の物にして楽しんでいます。
ここでは光太郎の住まいに残された、調理用品や、囲炉裏で楽しまれた当時のコーヒーなどが展示されております。
是非ご覧になってください。

今年の展示は明日27日迄です。
来年は1月4日からになります
今年1年ありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします

                     高村光太郎記念館 一同

2018年12月18日火曜日

クリスマスコンサート

こんにちは!
高村光太郎記念館です。
12月16日日曜日、当記念館内で、クリスマスコンサートが行われました。
これに合わせて、花巻市太田山口地区の皆さんによる
「高村光太郎 詩の朗読会」
も行われました。
・道程・岩手の人・大地麗し・案内・山口部落・山からの贈り物・山の広場・雪白く積めり・メトロポール・


最後は皆さん全員で光太郎にゆかりの深い「山口小学校校歌」を全員で歌いました。
4月2日の連翹忌には「詩碑前祭」と言って、光太郎を偲んで、太田地区の皆さんで朗読をします。馴れていらっしゃるのでしょうか、みなさん堂々とした朗読でした。
このコンサートの為に結成された「光太郎ストリングス」の皆さんです
今日は乙女の像をバックに演奏していただきました。
曲目は
カノン    パッヘルベル
ビバルディ  2つのバイオリンの為のコンチェルト
2人のかわいいバイオリニストが素晴らしい演奏をして下さいました。

急遽メンバーに加わった男子中学生がビバルディの「冬」第2、第3楽章を演奏してくださいました。
 他にも、代表の佐藤結歌さんの楽しいお話を交えながら
コレルリのクリスマスコンチェルトやみんなが知っているクリスマスメドレーを
聞くことが出来ました。
素晴らしいコンサートでした。

昭和24年12月5日。
光太郎は小学校の学芸会に参加します。
サンタクロースに扮して沢山のお菓子を子供たちに届けました。
このサンタクロースの衣装は残念ながら数日前にお亡くなりになった、高橋愛子さんがご自分の赤い襦袢を使って作ったそうです。
光太郎が大きい人だったので、苦労したとの事でした。
白い所は羊の毛なそうです。愛子さんの生前は、沢山光太郎との思い出話を聞かせていただきました。

今日、 サンタさんに扮したのは、なんと、この写真の中のお一人の高橋精一さんです。
まだクリスマスやサンタクロースの言葉も珍しい頃に、山口小学校の生徒たちは光太郎から思いがけないプレゼントをいただくことが出来たそうです。
高橋征一さんは、光太郎から頂いた楽しい思い出を、次の子供たちに伝えています。

楽しい、楽しいスペシャルクリスマスコンサートの1日でした。
素晴らしい演奏をして下さった、光太郎ストリングスのみなさん、
朗読をして下さった、山口支部の皆さん
そして記念館に足を運んでくださったお客様、
ありがとうございました。

2018年12月14日金曜日

冬が来た

 こんにちは!!
高村光太郎記念館です。
ご覧のように、今週すっかり雪に囲まれた記念館です。
もちろん開館中です。
只今、花巻市共同企画展も始まっております。
当館の企画は、次号で詳しくお知らせいたします。

 まだ雪は多くありませんが、もうじき冬の景色はここ1番の景色が見られます。
また、クロスカントリーのスキー場にもなっていますので、土日は子供たちの賑やかな声も聞かれます。是非その足でお立ち寄り下さい。

 高村光太郎は昭和20年11月17日からここでお一人で、自炊生活を始めます。
もちろん村の方や、当時の分教場の先生家族の皆さん達にも色々助けられましたが、
迎え来る冬にどんな気持ちでいらしたのでしょう。
北海道に憧れて行った事もある光太郎は、ここの冬は北海道ほど大変ではないと思ったのかもしれません。
いずれにしろ、物のない、戦後です。いろんなご苦労があった事でしょう。
光太郎の住んだ山荘ももちろんご覧になれます。
今日は「冬が来た」の詩をご紹介します
光太郎30歳の詩です。
      「冬が来た」
きっぱりと冬が来た。
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった

きりきりともみこむような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、蟲類に逃げられる冬が来た

冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

(大正2年12月5日作)