2022年1月20日木曜日

新事務局長紹介

いつも当ブログを訪問下さりありがとうございます

今日は、雪の記念館と、新事務局長をご紹介します

こんにちは

12月から花巻高村光太郎記念会事務局長に就任した藤田好造(フジタ コウゾウ)です。

光太郎先生はここで7年間暮らしました。

その様子を皆さんにご理解していただけるよう努力いたしますので、

よろしくお願いたします。

   

簡単に藤田氏のご紹介をいたします

藤田氏は、花巻市太田生まれです。

前年度まで記念館周辺の環境整備の仕事をされており、特に光太郎の住まいだった山荘や月光殿の保存に尽力されました。

お父様は故藤田万之助氏で太田村村長や花巻市長を歴任した方です。記念館入り口に顕彰碑もあり、光太郎ゆかりの方です。

この日は細かい雪が降り続き、美しい雪景色を見せてくれました。

2月末から木彫の企画展も始まる予定です。除雪もしておりますので、是非ご来館ください。


 

2022年1月17日月曜日

光太郎ランチ1月

いつも当ブログを訪問していただきありがとうございます

今年は暖かいと思っているうちに、岩手には沢山の雪が降りました。

光太郎が生きていたら、囲炉裏に火を焚き、乾物や蓄えていた野菜などを使って、今日は何を食べようか?と考えていたでしょうか。

小屋の気密はほぼないような建物ですからつららも太くて長かった事でしょう。

1月ですから、お正月らしく撮ってみました。

箸袋も、よく見ると「ポスターカラーで書いた日の丸を雪にさす」というところまで描いてあります。

光太郎の食べた食べ物を今再現しようとすると、ずいぶん高価なものになるものが沢山あります
 

身欠きにしん、イカ、甘酒、大豆なども今はそんなに安く手に入りませんね。
高級食材という事になります。
光太郎の住んだ山口地区は昔、開拓地ですから粟や稗、そば大豆など雑穀が主な栽培品だったようです。そば粉もよく村の人からいただいて、今回のそば粉パンなどバリエーションが多くあります。
冬は大豆や乾物のニシン、こぶなど前の日に仕込んで置き、柔らかくして食べたようです。雑穀は慣れないせいかよくお腹をこわしています。
ビタミンにはキャベツのシュークルートが欠かせず、酢を頻繁に買っています。凍りにくいのもありがたかった事でしょう。
ミカン、リンゴ、いずれも高価なものの1つであったようです。

2022年1月1日土曜日

あけましておめでとうございます




2022年が始まりました。

岩手県花巻市太田山口は雪景色です。

当時光太郎が、山口に住み始めたときにお世話した佐藤勝治さんという分教場の先生が「山荘の高村光太郎」にこんなことを書いています

「分教場から小屋まではわずか5,6町ですが、冬になると、吹雪のため、2,3日絶対に行けなくなることがありました。吹雪が止んでから、私は溜まっていた郵便物をリュックに入れて長い杖をつきながら先生の小屋に向かうのでありました。(略)私は、晴れていても、時々風のためにすごい雪煙が立って、前方が見えなくなる林の雪道を、堅雪を踏み外しては半身埋もれたりしながらだいぶ難儀して小屋に通いました。略」

小屋とは、光太郎の住んだ現在の山荘の事。5,6町は、約600メートル、堅雪とは雪が冷えて更に踏み固まった状態です、全体真っ白ですから道路がわかりません。長い棒を持って、とは固まった所を選んで歩くためです。雪が深いので足を踏み外すと腰まで雪に埋まったとのことです。

現在の記念館は、除雪が完璧で舗装もしていますから、半身雪に埋もれるという事はありません。光太郎の住んだ山荘にも行けますので安心していらして下さい。たまに吹雪に見舞われるのは現在も同じですが、記念館、山荘は冬も会館しています。
もう少しすると、記念館、山荘周りがクロスカントリーのスキーコースになり、子供たちの休みには歓声が聞こえます。

昭和26年1月1日

寒さ烈し、雪まだふってゐる。風はやみたり、ひる頃まで寝ている。雑煮阿部さんよりの餅、豚、白菜(略)午後学校よりスキーにて先生郵便物持参、スキーでなくては歩けさうもなし、婦人之友正月號など届く。ひるまよりコタツ。0下3度、夜炊飯、生干し、のり、

ちゃんとご自分でお雑煮を作って食べていますね。お天気の良い年は水を汲んでお抹茶を点てて飲んでいます。

今年の花巻は寒くて雪も多く、時折風で雪が粉のように舞い、こんな感じの天気です。

今年も高村光太郎、顕彰のための活動を頑張りますので、ご支援のほどよろしくお願いいたします。