2023年1月30日月曜日

高村光太郎記念館講座「おやつ篇」

いつも当ブログを訪問してくださり有難うございます。

全国的に寒波が来て、寒い日が続いていますね。

昨日、市内のまなび学園、クッキングルームにおいて、私達、やつかのもりが講師になり、親子の料理講習会がありました。

親子の料理講座は初めてで、少し緊張しました。

今回は「おやつ」、という事です。光太郎はお茶菓子を甘味と言っています。今回の甘みは

そば粉を使ったカップケーキと味噌を入れたそば粉パンです。そば粉は勿論岩手県産です。

佐々木課長から光太郎とソバの説明がやさしくていねいにありました。

小学生には初光太郎ですね。

真剣に聞いていました。

まず、材料を量ります。皆さん真剣ですね。

1gの誤差も許しがたいようでした。笑



全部の材料に最後、卵を割り入れて、成功するとみんなで拍手です。

それをカップに分けます。これも同じ量にするのが大変!

女子チームはトッピングに時間が掛かります。

手寧に少しずつ。見守りも大事ですね。

オーブンに入れている間に実演です、こちらは光太郎の日記から私達が掘り起こして発案したそば粉パンです。

光太郎風にお味噌を入れて、黒蜜とバターを添えて食べます。この時代にバターを添えて食べる、という意味が小学生には分からないでしょうが、若いママさん達はへぇー、とうなずいていました。

試食も大成功!!

これは帰ってから作ってみるとのご意見が多かったです。

ブルーベリー、(これも花巻産)のトッピングもうまくいきましたね。
私達も試食して、ホッとしました。
記念館での企画展示も3月までやっています。お天気のいい日、是非お出かけください。


 

2023年1月19日木曜日

雪晴れ

いつも当ブログを訪問して下さり、ありがとうございます。

今日、花巻地方マイナス8度と冷え込みました。

帰り道、早池峰山がとても美しく、雪晴れと光太郎は書いていますが、美しい景色です。

今年は少し暖冬のせいか、雪が少なくなってきました。屋根の上にもなく、日中比較的暖かい日が続いています。

今朝、あられのような雪が降ったみたいです。

もう9時を過ぎてからですから少し融けた感じですが、コロコロした新雪がふんわり降ったようです。

光太郎の日記にも、

昭和21年1月19日

朝雪少しふっている。南よりの風、晴れて日影さす。うららかな日和となり、氷とける。雪も上層はまろくとける。

昭和21年1月20日

昨夜曇り。夜半より雪少しふる。明方曇り氷張らず。割にあたたか。時々日もさす。軒滴落ち、積雪まろくとける。雪の角がまるくなる。略

英字新聞「タイムス」も「イワテ」も此二,三日来らず

光太郎の住まいにラジオもない頃(電気がないので)、新聞は唯一の情報源だった事でしょう。雪はこういう通信にも影響したのですね。

雪がまろくとけるとか、雪の角がまるくなる。さすがの観察ですね。

東京育ちの光太郎、こんな大雪は見たことがなく、雪の晴れ間に見える、少しのお日様の光や温かさもうれしかった事でしょう。

さて、今月の光太郎ランチ、すぐup出来ないので、インスタのYATUKANOMORIで始めました。そちらもご覧ください。

豚肉のトマトケチャップ煮にもち麦が入っていましたよ。

花巻は雑穀の里としても知られていますので、ミレットキッチン花さんもその辺のこだわりはありますね。

美味しかったですよ。いつも(毎月)15日。是非はなまき西南道の駅にご予約下さい。

さて、こちらも気がかりな大きなイベントです。

是非ご参加ください。
 

2023年1月7日土曜日

ビックな対談から

あけましておめでとうございます

今年も昨年同様よろしくお願いします

チラシが出来てきましたので、今年はこの企画のお知らせからです。

光太郎が住んでいた、花巻市旧太田村、現在花巻市「太田地区振興会」主催の対談講演会があります。

昭和20年に光太郎が宮沢賢治の実家を頼って東京から疎開して来るわけですが、なぜ、宮沢賢治の実家に来たのか?その辺からいろいろな関係を掘り起こして対談するようです。

とっても楽しみな企画ですね

私達「やつかのもりLLC」も、お手伝いすることになっています。

プロフィールにもありますが、

光太郎の方からは千葉県から「小山弘明氏」

高村光太郎記念館のアドバイザー的な役割もしています

賢治の方からは賢治の実弟清六氏の孫で林風舎代表の「宮沢和樹氏」です。

対談がどんな方向にお話が進んでいくのか楽しみです。

入場無料ですよ!是非是非足をお運びください。


それから、私個人が、お正月読み直した本を1冊ご紹介します。文庫本サイズです。

詩人の茨木のり子さんが光太郎の生涯を詩を交えながら、大変わかりやすく紹介している本です。

この本は茨木のり子さんが亡くなって1周忌に作られたものなそうです。

1967年にさ・え・ら書房から刊行された「うたの心に生きた人々」を編集し直したものなそうです。タイトルは茨木のり子さんが提案したものとの事。

中身もとても読みやすく、詩から読み取って生涯を振り返るのは、詩人としての光太郎という人がイメージされやすいと思いました。

最後のに書かれている文章を少しだけ抜粋したいと思います。

智恵子と生きた  高村光太郎の生涯より

その生涯をふりかえり、のこされた七百数十のおびただしい詩や、率直で男らしい文章を読みかえすと、その大きく、あたたかい人柄が、親しい「おじさん」のように、いまさらなつかしく思われます。

昭和25年にだされた詩集の名が「典型」だったからというわけはでなく、光太郎の生涯が、その精神の描いたカーブが、まことに日本人の「典型」そのものを示しています。「智恵子抄」で、じぶんのぐちや、弱点や、智恵子の狂気のときのみっともなさを、ぐいと押し殺してしまったように、まったく男性的なで古武士のような人柄でした。

そうしたところが、戦争中の、迷いや、懐疑精神をも押しつぶし、戦争賛歌を書く方向へ向かわせてしまったのでしょうが、大いなる失敗、挫折もふくめて、光太郎は、わたしたちにじつにさまざまな教訓をのこしとぃってくれた人でした。

「現代詩の父」と呼ばれるゆえんでしょう

 株式会社童話社