今年も昨年同様よろしくお願いします
チラシが出来てきましたので、今年はこの企画のお知らせからです。
光太郎が住んでいた、花巻市旧太田村、現在花巻市「太田地区振興会」主催の対談講演会があります。
昭和20年に光太郎が宮沢賢治の実家を頼って東京から疎開して来るわけですが、なぜ、宮沢賢治の実家に来たのか?その辺からいろいろな関係を掘り起こして対談するようです。
とっても楽しみな企画ですね
私達「やつかのもりLLC」も、お手伝いすることになっています。
光太郎の方からは千葉県から「小山弘明氏」
高村光太郎記念館のアドバイザー的な役割もしています
賢治の方からは賢治の実弟清六氏の孫で林風舎代表の「宮沢和樹氏」です。
対談がどんな方向にお話が進んでいくのか楽しみです。
入場無料ですよ!是非是非足をお運びください。
詩人の茨木のり子さんが光太郎の生涯を詩を交えながら、大変わかりやすく紹介している本です。
この本は茨木のり子さんが亡くなって1周忌に作られたものなそうです。1967年にさ・え・ら書房から刊行された「うたの心に生きた人々」を編集し直したものなそうです。タイトルは茨木のり子さんが提案したものとの事。
中身もとても読みやすく、詩から読み取って生涯を振り返るのは、詩人としての光太郎という人がイメージされやすいと思いました。
最後のに書かれている文章を少しだけ抜粋したいと思います。
智恵子と生きた 高村光太郎の生涯より
その生涯をふりかえり、のこされた七百数十のおびただしい詩や、率直で男らしい文章を読みかえすと、その大きく、あたたかい人柄が、親しい「おじさん」のように、いまさらなつかしく思われます。
昭和25年にだされた詩集の名が「典型」だったからというわけはでなく、光太郎の生涯が、その精神の描いたカーブが、まことに日本人の「典型」そのものを示しています。「智恵子抄」で、じぶんのぐちや、弱点や、智恵子の狂気のときのみっともなさを、ぐいと押し殺してしまったように、まったく男性的なで古武士のような人柄でした。
そうしたところが、戦争中の、迷いや、懐疑精神をも押しつぶし、戦争賛歌を書く方向へ向かわせてしまったのでしょうが、大いなる失敗、挫折もふくめて、光太郎は、わたしたちにじつにさまざまな教訓をのこしとぃってくれた人でした。
「現代詩の父」と呼ばれるゆえんでしょう
株式会社童話社
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