2021年7月28日水曜日

ブルーベリー園とマチココ撮影会

いつも訪問してくださりありがとうございます。

今回は私たちが日頃お世話になっている、大和園芸(やまとえんげい)さんのブルーベリー畑からです。

圃場には2万本以上の苗木があるそうです。圧巻です。


こちらは大型の苗木です。

こちらもざっと200本ぐらいはあるとか。

背の高さで摘み易くなっています。

こんなに大きなブルーベリーがなっています。

私たちもこんなに甘いブルーベリーを食べたことがなく、ブルーベリーに対しての意識が変わりました。
今回はこの大和園芸さんのご自宅のぶどう棚からの撮影です。

この日は終戦間もないころに、光太郎も作った石垣団子がメインですが、スタッフが得意なクルミ味噌もあります。レシピをお楽しみに!!

カメラマンの高橋さん。

何時も素敵な撮影をしてくださいます

光太郎は、盛岡生活学校(現盛岡スコーレ高等学校)に訪問した際、フランスの田舎でぶどうジュースを旅人に振舞う姿を話し、

「是非ぶどうジュースを作りなさい」、と言われたことがあったそうです。

当時創立者である吉田幾世さんは苦労を重ねてジュース作りを成功させたそうで高校内は勿論、県内の物産館で取り扱っています。

現在もぶどうジュースをはじめ、ブルーベリージュースやトマトピューレーなど野菜の加工の指導もしているそうです。

青い瓶の隣に写っているのが、スコーレ高校のぶどうジュースです。勿論100パーセントです。岩手に来たら是非お土産にどうぞ。

今年は遅霜か豪雪かぶどうの出来がいまいちなそうです。

本当は、これより大きな房が頭の上に沢山なるそうですが、残念ですね。

マチココ発売をお楽しみに。

 

2021年7月15日木曜日

7月の光太郎ランチ

こんにちは

暑くなりましたね。記念館付近のアジサイも素敵に咲いてます。

アジサイロードもありますが、今年はいつもより花数が少ないとか、少し残念ですね。


今月の光太郎ランチの日です。

「ミレットキッチン花」のグループの皆さんありがとうございます。

今月7月は


じゃがバターピラフ

タカキビ入りパンケーキ、杏ジャム添え

カツオの竜田揚げ

ミズの小女子煮

いんげんの胡麻和え

花豆の甘煮

塩麴入り卵焼き

キュウリの糠漬け

いなきび入りコーヒーカン

と今回もデラックス版です。

自分で野菜を作って自給自足を目指しますが、牛などは飼えませんでした。

この地で卵や牛乳が定期的に手に入るのはずーっと後の事です。

それ迄は乾物や缶詰を利用し、豆などのたんぱく質を上手に調理して食べています。

じゃが芋もバターをのせて主食の一つでした。

今回はピラフにしてジャガイモを入れてくださいました。

パンケーキは名前は違いますが、光太郎の得意料理の1つと思います。

きゅうりの糠漬けも上手です、いんげんはたくさん採れてうれしい悲鳴の年もあります。

光太郎は暑いのは苦手ですが、作物が実り農作業には年々自信をつけていきます。


さて、今週末で、菊池邸の公開が終わります。

沢山の方に来館していただいています。

私が気に入った、床の間?のような飾りと大きな机。

どなたが使ったのでしょう。

ちょっと遠いのですが、階段の手すりの模様、何か意味があるのでしょうか?

そんなことを考えながら見学するのは楽しいですね。

お近くの方是非どうぞ。
 

2021年7月9日金曜日

光太郎も訪ねた菊池邸

花巻もすっかり夏の気候になりました。

光太郎は夏が苦手でしたね。東京に住んでいる時は群馬県にある赤城山に避暑によく行っていたようです。岩手も涼しいのですが、光太郎の住んだ山小屋は唯一ある窓が障子ですので、反対側の壁の1部を壊して風通しを作り、蚊帳をつって寝ています。湿気がすごかったようです。

さて、花巻に菊池捍(キクチマモル)邸というお屋敷跡があります。長い間無人でしたが今回沢山の方々の支援で公開されることになりました。


こちらは現在は盛岡の医師の持ち物です。

今回ご子孫の方で実際にこちらにお住まいだった方が、たまたまご家族の看病のために来花しており、公開にご協力いただいています。

この敷地内にアトリエのあった寺島貞志氏の油絵も一部公開しております。寺島氏の奥様がここ菊池氏のご子女です。宮沢家が空襲で火事になり、その後1か月初代花巻北高校長の佐藤昌氏の所に光太郎がお世話になるのですが、その佐藤昌氏と従兄弟にあたり、当時佐藤家いる光太郎を訪問しています。この辺の事は、今回の公開に書いていません、残念ですね。

私たち「やつかのもりLLC」も微力ながら、公開までのお掃除や案内など協力させていただいております。

↑の新聞記事は平成20年のものです。光太郎が、賢治の弟清六さんに連れられて、この菊池さんのお宅を訪ねてピアノ演奏を聴いたという記事です。会議の時のお話では昭和19年から23年3月までの間との事でした。光太郎が花巻に来たのが昭和20年5月です。宮沢家にお世話になったのが、昭和20年5月~8月まで。しかし、光太郎が山口に住んでからとの事。次の年、昭和21年5月~7月まで腕をケガし、日記の記載がなく、医師の佐藤隆房氏にお世話になっていたようです。その頃の事かもしれません。

このピアノを弾いた方、菊池聡子さんは長年このお家でピアノを教えていらっしゃいました。当時ここで光太郎もピアノを聴いたのですね。

そして、宮沢賢治の「黒ぶだう」という作品のモデルになった所、として研究している方もいらっしゃいます。その関連の資料も販売しております。


そのお話に出てくる二階のバルコニーのあるお部屋の襖の柄の1部です。

色がうまく出ませんが、当時のままにまだ残されています。全部で8回の公開ですがお近くの方、ぜひ足をお運びください。

また、5月発売の光太郎カレンダー、まだまだ発売中です。

メールだけでお返事のない方、今一度メールをご確認ください。

kotarocafe30@gmail.com  までご連絡ください。