2021年7月9日金曜日

光太郎も訪ねた菊池邸

花巻もすっかり夏の気候になりました。

光太郎は夏が苦手でしたね。東京に住んでいる時は群馬県にある赤城山に避暑によく行っていたようです。岩手も涼しいのですが、光太郎の住んだ山小屋は唯一ある窓が障子ですので、反対側の壁の1部を壊して風通しを作り、蚊帳をつって寝ています。湿気がすごかったようです。

さて、花巻に菊池捍(キクチマモル)邸というお屋敷跡があります。長い間無人でしたが今回沢山の方々の支援で公開されることになりました。


こちらは現在は盛岡の医師の持ち物です。

今回ご子孫の方で実際にこちらにお住まいだった方が、たまたまご家族の看病のために来花しており、公開にご協力いただいています。

この敷地内にアトリエのあった寺島貞志氏の油絵も一部公開しております。寺島氏の奥様がここ菊池氏のご子女です。宮沢家が空襲で火事になり、その後1か月初代花巻北高校長の佐藤昌氏の所に光太郎がお世話になるのですが、その佐藤昌氏と従兄弟にあたり、当時佐藤家いる光太郎を訪問しています。この辺の事は、今回の公開に書いていません、残念ですね。

私たち「やつかのもりLLC」も微力ながら、公開までのお掃除や案内など協力させていただいております。

↑の新聞記事は平成20年のものです。光太郎が、賢治の弟清六さんに連れられて、この菊池さんのお宅を訪ねてピアノ演奏を聴いたという記事です。会議の時のお話では昭和19年から23年3月までの間との事でした。光太郎が花巻に来たのが昭和20年5月です。宮沢家にお世話になったのが、昭和20年5月~8月まで。しかし、光太郎が山口に住んでからとの事。次の年、昭和21年5月~7月まで腕をケガし、日記の記載がなく、医師の佐藤隆房氏にお世話になっていたようです。その頃の事かもしれません。

このピアノを弾いた方、菊池聡子さんは長年このお家でピアノを教えていらっしゃいました。当時ここで光太郎もピアノを聴いたのですね。

そして、宮沢賢治の「黒ぶだう」という作品のモデルになった所、として研究している方もいらっしゃいます。その関連の資料も販売しております。


そのお話に出てくる二階のバルコニーのあるお部屋の襖の柄の1部です。

色がうまく出ませんが、当時のままにまだ残されています。全部で8回の公開ですがお近くの方、ぜひ足をお運びください。

また、5月発売の光太郎カレンダー、まだまだ発売中です。

メールだけでお返事のない方、今一度メールをご確認ください。

kotarocafe30@gmail.com  までご連絡ください。

 

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