2021年6月15日火曜日

宮沢賢治を訪ねて

今回は、わが花巻市の偉人である宮沢賢治を訪ねて、花巻の街中を歩きました。光太郎も花巻に来て、いろいろ散歩をしていますから、2人の気持ちになって歩きました。

花巻観光協会で今、グループで散策するのにガイド付きで1人500円。なんと300円のクーポンが付きます。1時間30分のコースです。花巻駅観光案内所に集合、チケットを買って、遠くてもガイドの声が聴けるモニターを付け出発です

10時「なはんプラザ」前にあるオルゴール時計が鳴ります。銀河鉄道の主役が時計が開いて出てきます。

賢治の童話にまつわるオブジェが街のあちこちにありますが、ここは「どんぐりとやまねこ」でしょうか。ガイドはここにあった信号機の童話「シグナルとシグナレス」のお話をして下さいました。ここが軽便鉄道の出発地点花巻駅だったそうです。光太郎が来た時にはこの軽便鉄道はすでになく、住みかとなった太田村に行くためには電車を使いました。
駅前の食堂ではよくビールを飲んでいます。
駅近くにある、「林風舎」宮沢賢治の弟清六さんのお孫さんが経営してます。

りんぷうと言う名前の由来について聞きました。

賢治の童話「3人兄弟の医者と北守将軍」の中の3人の名前リンパー、リンプー、リンポーの真ん中、今でいえば獣医の人の名前からとったそうです。玄関の馬の彫刻はその為なそうです。

ここは、市内でも有名なお団子屋さん、賢治がここのお団子を食べたわけではなくこの場所で、「春と修羅」を印刷した山口活版印刷所のあった場所です。建物も当時の電気の配線などが残っています。ここで、清六さんは「国譯妙法蓮華経」を千冊印刷したところなそうです。
軽便鉄道の本社跡
よく写真を見ると、現在大迫で「猫の事務所」になっている、「郡役所」が見られました
同じく鳥谷崎駅跡
そこから、昔女学校通りと呼ばれた道にかかっている橋、なんと焼夷弾の跡が残っていました。
昭和9年に作られた橋、今はずいぶん狭い道に感じます。

吹張町に抜け、やぶやのお店前、女学校のお隣が賢治の勤めた農学校でした。やぶやまでは近く一杯飲みに行こうとよく同僚を誘って来たそうです。
その一杯、サイダーの事だった。との事。
ちなみに光太郎はここでおそばも食べていますが、サイダーは飲まず、駆け付け一杯、はビールでした。
最後、賢治のお母さんの実家で、ここも宮沢家です。ここで、賢治が産湯として使った井戸を公開しています。
今も商売をしていますので、土日はお休みなそうです。残念!
そして、上町の賢治の広場で解散です。
暑かったですが楽しい街歩きでした。
みなさんも花巻にいらした時にはどうぞ!!
 

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