今年、雪の量はお隣秋田や青森は例年の2倍とか、岩手は去年は少なかったですが今年は例年ほどでしょうか?しかし寒さは例年より厳しく感じます。
当時、光太郎の住んだ山小屋は、どんなでしたでしょう?
2年目 昭和22年2月3日
宮崎稔氏にあてた手紙です。(1部を抜粋、現代仮名になおしています。)
いよいよ寒波が来て、1月29日には最低気温マイナス20度になりました。それ以来ずっと零下の気温が続いています。しかし氷がつよく張るだけで小生の体には大して感じません。綿入着物にいつかのドテラを引っかけています。雪の中はツマゴを履いて歩きます。此頃は月が雲の上にあるので夜もうす明るく、煙ったように吹雪が吹きしきる景色は実に見事です。
入口の引き戸は夜になると凍りついて中々開きません。急須の蓋も凍りついて、湯を上からかけないと取れません。なんでも1度づつ温めてから使います。火はまことにありがたいもので、太古の人が火を神聖視していたわけがわかります。
雪明かりと、ランプで読書をしたのかも、というイメージです。
たまたま、古いシェークスピアが我が家にありました。
毎回こういう小物探しも楽しく大変です。
今回はパーコレーターも出てきますのでコーヒーとリンゴのデザートを用意しました。光太郎は特に水にこだわり、湧水を汲みに行って色々なお茶を楽しんでいます。
厳しい山小屋生活ですが、おひさまが射す冬のひと時はお茶やコーヒーで穏やかな1日を楽しまれたことでしょう。
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