ブログがすっかりお休み状態になり色々情報がたまってしまいました。
まず、11月1日の宮沢賢治イーハトーブ館で行われた
「続光太郎はなぜ花巻に来たか?」の講演会の様子から、イーハトーブ館は賢治記念館の下の方にあります。200名ぐらいの収容数があるホールがありそこで催されました。
山口では小学校に光太郎がよく来ていた事、子供達には優しく親切だった事、
水をもらいに行ってもすぐくれた事などをお話してくれました。
山口小学校は、光太郎が亡くなってから毎週ごみ拾いをしていたそうです。山口地区の方たちも山荘周辺の整備にはいつも沢山の方たちが労力を惜しまず協力していただきました。
今の記念館や山荘がきれいに残っているのは地元の方々の70年以上の奉仕のたまものですね。
高校生の時文芸部の部員として光太郎に会いに来たという菊池さん、
地域おこし協力隊の方、光太郎のファンで光太郎の文を英訳して観光に貢献した森川さん3名がそれぞれ光太郎と関わった様子をお話してくださいました。
光太郎が花巻に来て、リンゴの美味しさにびっくりし、リンゴが大好物になります。そんな様子などや、高校生の菊池さんは当時の山荘の様子や光太郎の言葉を、また森川さんは光太郎が興味を持った温泉の様子を、今の温泉の様子のようにお話してくださいました
今度は続続編を是非花巻市で開催していただきたいですね。私達やつかのもりLLCも受付やその前の準備のチラシや垂れ幕などに協力いたしました。
クッキーや切手シートのプレゼントもありました。
さて、そして本日、私たちが企画に携わった、「光太郎と吉田幾世」の企画展の特別講座があり、久しぶりに記念館に来ました。
すっかり秋です。ここから山荘を見ると光太郎が住んでいるような雰囲気です。
吉田さんが自由学園の卒業生であって現在も現存する雑誌「婦人之友」の記者もしており、そして「婦人之友」に光太郎は約100年前から投稿していた。という縁もありました。
そして奥さんの智恵子夫人も投稿しておりエプロンの型紙などもありました。興味深いですね。
光太郎が1年通じて記事を載せたりする出版社はなかったそうで、光太郎にとって特別な出版社であったとのことです。
そのうち生徒を連れて訪問し、お土産にサンドウィッチを作ったり、座布団に山野草の花を刺繡して差し上げ、光太郎もまた卒業式に参加したりホームスパンの先生を紹介したりと深い交流があったようです。
現在の生徒が作っている作品やホームスパンが出来るまでの様子などを展示しています。
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