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今日は終戦記念日
光太郎は疎開先の宮沢賢治の実家が戦火に会い、城内にあった佐藤昌氏の所に避難しておりました。この方は初代花巻北高校の校長をされた方で、光太郎は「校長さん」、と言って花巻に滞在中、年も近く仲良くされた方の1人です。
昭和20年8月15日
(略)正午鳥谷崎神社社務所ニテ天皇陛下の玉音録音放送ヲキキ平和再建の詔書渙発を知る
8月16日
新岩手日報の依頼にて正午迄に詩一遍、(略)と日記にあります
筑摩書房「高村光太郎全集」より
その時書いて、新聞に載ったのがこの詩です。
この碑が今も神社境内にあります。一時光太郎が戦犯と騒がれたりしたこともあり、草野心平や弟の高村豊舟氏の反対で神社の床下に置いてあったそうです。
今はひっそり、建っています。光太郎がみはらしと言ってお気に入りの場所の近辺かと思います。
一億の号泣
綸言一たび出でて一億号泣す
昭和二十年八月十五日正午
われ岩手花巻町の鎮守
鳥谷崎(とやがさき)神社社務所の畳に両手をつきて
天上はるかに流れ来(きた)る
玉音(ぎよくいん)の低きとどろきに五体をうたる
五体わななきてとどめあへず
玉音ひびき終りて又音なし
この時無声の号泣国土に起り
普天の一億ひとしく
宸極に向つてひれ伏せるを知る
微臣恐惶ほとんど失語す
ただ眼(まなこ)を凝らしてこの事実に直接し
荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさざらん
鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのずから強からんとす
真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん
昭和二十年八月十五日正午
われ岩手花巻町の鎮守
鳥谷崎(とやがさき)神社社務所の畳に両手をつきて
天上はるかに流れ来(きた)る
玉音(ぎよくいん)の低きとどろきに五体をうたる
五体わななきてとどめあへず
玉音ひびき終りて又音なし
この時無声の号泣国土に起り
普天の一億ひとしく
宸極に向つてひれ伏せるを知る
微臣恐惶ほとんど失語す
ただ眼(まなこ)を凝らしてこの事実に直接し
荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさざらん
鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのずから強からんとす
真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん
高村光太郎連翹忌運営委員会の小山先生のブログからお借りしました
いつも事務所で食べるのですが、コロナやお盆の事もあり、今回は各自の家でという事で道の駅に買いに行きました。
見えにくいのですが、「白菜と南瓜の花の酢の物」白菜をお花で巻いてありました。
これには光太郎も脱帽かと。アイデアですね。
お盆や行事があると光太郎はよく村の人々から小豆餅やお赤飯をいただいています。
ご馳走だった事でしょう。
箸袋は、今も山荘周辺に咲く百合の花です。
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