4月2日は高村光太郎の命日です。
私たちは連翹忌と言って在りし日の光太郎を偲ぶ行事に参加してきましたが、今年はコロナの為、ここ花巻市太田山口の有志の方で行われました。
高村光太郎記念館の敷地の中に、「雪白く積めり」の詩碑があります。晴れた日にはそこで行われます。
その前で、毎年山口支部の方が詩碑の前で読む「碑前祭祭文」という言葉があります。
今回はそれをお借りしてきましたので全文載せたいと思います。
「碑前祭祭文」
法名光殊院殿顕誉智居士高村光太郎先生、第65回令和2年4月2日西山の袖に抱かれる山口は春燦燦としている。昭和20年10月から27年10月まで7年間、高村光太郎先生がお住いになられた由緒深いこの山口の地は、先生がなくなられた後も、この地を訪れるけんないがいのたくさんの人々が後を絶たない、大切なところとなりました。懐かしい住居の小屋は、大事に保存され、先生が散策されたハンの木林には、記念碑が建ち、先生の貴重な作品や遺品を収蔵する記念館も出来ております。若葉かおる新緑の候、山口ツツジが深紅に嘆き、鶯のさえずる春の日に、ここで楽しいたかむらさいが開催されております。蝉の声、樹林にしみる夏ススキの白穂に西山の紅葉、雪の冬、厳しき自然の中に先生は7年間お住いになられ、自然を讃え、詩にうたい、地方の私どもに数々の教えを注いでくださいました。正直で心はいつでも新しく、毎日何かしらを発見する大地麗しの宇宙観、こういう大切な教えは、私どもの毎日の生活の中で、又、明日への大きな希望となって心を豊かにして下さっております。本日茲に先生の65回忌を迎え、私どもは、例年も同様ここに集い先生の広大な数々に感謝し、香華を手向け、ご位牌に額づき、尚先生の教えに添う事の出来るよう努力することをお誓い致し碑前祭の言葉とします
住民の方々とお互いに支えながら、戦後の厳しい時を過ごされ、そして絶えることなくこの行事を続けて下さっている太田山口の皆さんには本当に頭が下がります。この広い敷地を何度も清掃活動をされ、そして行事には全戸の皆さんがそれぞれの役割で参加して光太郎を守っています。
私達女子職員は今年令和3年3月で花巻高村光太郎記念会を離れました。しかし光太郎への熱意は変わることがありません。引き続き光太郎ゆかりの事を自由な立場で探求しながら、顕彰していきたいと思います。今後もよろしくお願いいたします。
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