2019年10月18日金曜日

市民講座(後半)

後半は北上市から始まります
 後藤と言う地名にある碑です。
当時藤根村で小学校教師を永らく務めた高橋峯次郎さんが,自分の教え子を含め戦没者の供養のために観音さんや鐘突堂などを私費で作った場所です.
光太郎に観音像を依頼しましたが、「観自在こそ・・・」という詩を揮毫してくれたそうです。それを石に移したもので光太郎生前の数少ない詩碑の一つです
私たちとすれ違いに小学生が課外事業で訪れていました。
 センブリの花が咲いていました。
茸もありました。
シーズンなのですね。
 お昼は、北上市内にある「草のホテル」のランチをいただきました。
季節の芋の子汁が一緒で、ここでも秋を感じました。
茸が、色々な料理に入っていました。
光太郎も茸は大好物でした。
当時は栽培ではなく天然だったでしょうから、香りも格別だったことでしょうね。
 次は、二子城跡にある「ブランデンブルグ」の1節を碑にしたものです。
展望台から見ると碑がこんな感じでした。
展望台の真下に見えます。

 以前はこんな具合に碑からも見事な展望が見られたそうですが、現在は残念ながら草と樹に覆われています。
光太郎が花巻に住んでいる時代に、北上市に招かれています。その時に朗読されたのがこの「ブランデンブルグ」の詩です。
いつか建てた時のような景観で見れるといいですね。
こちらは 沢山のリンゴが生っています。「阿部の大将」と言われた阿部博氏の私有地です。
博さんの子孫の方が今もこのリンゴ園を守っています。
その一角に光太郎が阿部氏の為に作った「酔中吟」が刻まれています。
光太郎は、岩手のリンゴが大好物でした。
リンゴの栽培で、光太郎の住んだ山口地区が豊かになるように考えた一人です。
当時は野ウサギがたくさんいて、リンゴの根を食べられてしまったそうです。
阿部さんも光太郎に協力して林檎を植えた一人です。
 そして、旧雪印乳業花巻工場、現岩手雪運(株)花巻物流センターにあります「牛」の詩の一節です。
碑が牛のような姿をしているのが興味深いです
最後は光太郎が、何度か両親や、妻の智恵子の法要を行った、松庵寺です。
松庵寺という詩碑もあります。
珍しいことに、この詩を英訳したものまでありました。
なかなか個人では行けないような場所も訪問することが出来、興味深い1日となりました。何より雨が降らず、助かりました。
遠くから来ていただいた小山先生、本当にありがとうございました。