2020年5月8日金曜日

光太郎さんぽ道

 みなさんこんにちは
高村光太郎記念館です
今日は最高の景色を見ることが出来ました。
私たちが「光太郎さんぽ道」としてご案内している場所があります。
今日は写真でご案内します。
↑は光太郎の住んだ場所をそのまま保存しています、「高村山荘」という所です
光太郎はここに昭和20年から27年までお一人で住まわれました。
今は春、
光太郎も、鳥の鳴き声や、咲く野の花を見て、摘んだり、スケッチしたり、植物図鑑を見ながら山菜を食べたりして春を満喫しました。


 その当時からしますと、ずいぶん木々が大きくなり、周りも開拓地から、普通の田園風景になりました。記念館も建ち、道路も整備されましたので 全部当時の道そのままではありませんが、残っている場所もあります。森は、当時の木々が沢山あるように思われます。↑は ヤマナシの木です。
ずいぶん大きくて、高く、ヤマナシの実が落ちて初めて、木の名前がわかりました。

 山荘から、当時ハンノキ林と言った場所を、ブランデンブルグの森と名付けています。
ハンノキが少なくなりましたが、モミジが沢山あり、今の若葉も大変美しいです。
音楽が聞こえてきそうな景色です。

 詩碑の後ろを上ると小高い丘に上に着き、「智恵子展望台」と名付けられた場所があります。
光太郎は、時々この丘に登って、原野や開拓地を見たことでしょう。
時々「ちえこ~」と奥様の名前を呼んでいたという逸話があります。
デッキを新しくしましたので、遠くの景色が見えるようになりました。

 そこを反対側に降りると、「智恵子抄泉」という泉に出てきます。
当時やかんを持って、毎日ここから水を汲んだそうです。地元の少年だった浅沼隆さんが何度もここを往復する光太郎の姿を丘の上から見ていたそうです。
湧水の飲料水と、井戸のから汲む生活用水を分けていたようです。

 こちらは旧記念館。
東北では1番早い記念館でした。
昭和41年に出来、約48年間「高村光太郎記念館」としての役目を果たしました。
、その後、昨年まで「森のギャラリー」として皆さんに色々な行事を通してご案内しておりました。又そちらもご案内できる日が来るといいですね。

旧記念館から南側の公園に出ます。
ここは比較的新しい場所です。ので、後から整備された場所です。が、木々は当時に気がそのままですので四季を等して美しいです。

四季を通して小さなお花達もお出迎えしてくれます。